2009年10月19日

tabi0313 島田裕巳「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」

生煮え神秘主義者が社会と関係を結ぶ事態の一般的考察
中沢は、ゴジラがくり返し回帰させるものは悪夢を生む抑圧の機構ではなく、心の奥底に潜む、失われた「根源的な自然」の記憶にほかならないと言い、ゴジラをもう一度私たちの手に奪還して、それを創造しなおすべき時がきていると述べている。そして、市場やネットワークを踏みにじりながら、私たちの内部に失われた深さの感触を蘇らせる新しいゴジラが、ふたたび海中から浮上してくる姿を自分は想像すると述べて、「GODZILA対ゴジラ」を締めくくっている。P100
島田裕巳「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」(亜紀書房 2007)


中沢は、地下鉄サリン事件の直後、ある元信者に対し「ね、高橋君。オウムのサリンはどうして(犠牲者が)十人、二十人のレベルだったのかな。もっと多く、一万人とか、二万人の規模だったら別の意味合いがあったのにね・・」と言い放った過去がある。

その発言の前には、「宗教とは狂気を持っているものなんだ。そのことに高橋君は気づかなかったの?」と言ったという。その発言に高橋が驚いて、「人を幸せにする、人を救うものを宗教というんじゃないですか?人に苦しみを与えるものが宗教だなんて、僕は聞いたことがないんですけど」と聞き返した。すると中沢は、「歴史的にみてもいろんな戦争を起こしているし、宗教って、そもそもそういう凶暴性を秘めているものなんだよ」と答えたという。上記の発言への批判に対して、彼からの応答は未だにない。

現在、中沢氏は多摩美術大学 芸術人類学研究所の所長を務めながら、ほぼ日くくのち学舍などに顔を出されている。

私は、上記の発言に対しては、価値中立である。そのような凶暴性が自身の内に存在するのは素直に認められる。しかし、発言への批判は「倫理」という底の軽いものではない。むしろ、その不徹底さをこそ批判の俎上にあげる必要があるのではと思う。

さて。島田氏は、中沢氏と旧知の友であった。著者自身もオウムに関する書籍を刊行されており、これらの問題に携わる中で様々な体験をされてきた。

そのような経緯を考えると、本書の意味も深みをもってくる。島田氏は、自身のブログで執筆経緯と刊行後のあとがきを書かれている。

これまで私は30冊以上の本を書いてきたけれど、今回の本を書くという作業は、これまでとは明らかに違った。この本は是非とも書き上げなければならないという強い思いをもちながら書いたことは、これまでなかった。『オウム』には、それに近いものがあった。けれども、今回の方がはっきりとしていた。本が売れようと売れまいと、どう評価されようと、そんなことはいっさい関係がない。とにかく、書き上げなければならないのだと思いながら、私は書き続けた。その意味で、この本は私にとって特別な本なのである。
『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』刊行後の「あとがき」


底が抜けきらない神秘体験、そして社会変革と結びつけない神秘体験。政治性と神秘性の重ねあわせ、ないしは氷塊。非常に大切な論点だと思われる。

■参考リンク
極東ブログ



■tabi後記
明日からアジアを体験してくるわけだが、持っていく書物は「意識と本質」「意識の形而上学」「道元との対話」「龍樹」「国家」にしました。書を持って、旅に出てきます。旅に出て、書を読むかな。
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2009年10月18日

tabi0312 三谷宏治「発想の視点力」

「発想の原理」を発想する。そして、それを感想する。
KJ法でもそうだが、せっかく面白いアイデアがあっても、ヒトはグルーピングという作業の中で、それらのトンガリを落とし、丸めていってしまう。グルーピングとは共通項を探すことなのだから、カード3枚を集約すれば、そのグループの名前はそれらの最大公約数にならざるを得ない。
そうではなく、100のアイデアが出たなら、グルーピングせず一番尖ったものを選び、それを分析して本質を見極め、そこから拡げ組み合わせて新しいアイデアを創り上げることが大切なのだ。発見し、選択し、分析し、組み合わせる。それが正しく発想するためのステップだ。発散と収束、ではない。P5
三谷宏治「発想の視点力」(日本実業出版社 2009)


発散と収束ではなく、「発見、選択、探求、組み合わせ」から発想が生まれるというのは、三谷さん独特の発想だと思う。発見が重要で、そのためには、「比べる」と「ハカる」という視点が重要だという。また、収束では単なる収束ではなく、観想が必要だという。

「正しく決める力」を筆頭に、三谷さんの本が素晴らしいのは、普通のマーケティングの本が「理論→事例」で終わるところを、「理論→事例→抽象化」という手順で説明しているため、納得感が高いことだ。

8月末に三谷さんの家に伺った際に「疑わしきは、測れ。問題は何を測るか。」という言葉を体感させられた。時あるごとにこのフレーズがリフレインしているこtもあり、周囲からのFBによって習慣レベルに落ちていることを感じてきている。

丁寧にハカっていると、やっている人と、やっていない人の差が明瞭になるばかりか、やっている人の中での差異も明瞭になってくる。やはり、本当のプロは、ちゃんとハカっている。自分のカンを信じず、重さや厚さや意味を、ちゃんとハカろうとしている。人間の感覚が、実はいい加減だと骨の底からわかっている。それでいて人間味に溢れている。



■tabi後記
Twitterから逃避するようにBlogに帰ってきた。10/20から11/11東南アジアにいってきます。
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2009年10月10日

tabi0311 NHK取材班「『空海の風景』を旅する」

ZEN/SEX/LSD/BMI
司馬遼太郎が作品のテーマに掲げた「天才」の成立条件とは、一体なんだったのだろうか。その回答が、ようやくおぼろげながら見えてきたように思った。

「空海」とは、限りなくゼロであり、無限だということである。枠外しということである。本当の意味での平等とは、自分が向き合う人をある枠付けしたフレームから見ている限り果たしえない。国家であり、民族であり、宗教であり、性別であり、貧富である。私たちは自分のアイデンティティーを語ろうとするとき、何らかの枠の範囲内にある自分の所属性に頼ろうとする。しかし、その所属性が引き裂かれているマイノリティーの人々も大勢いる。
(中略)
もとより、文字通り枠を外して生きることは困難だ。外側から規定されたアイデンティティーではなく、みずから「おまえはいったい誰なんだ」という絶望的な問いを絶えず自
分に突きつけながら生きてゆくしかないからである。

それを行なおうとしたのが、実は空海だったのではないか。
枠とは、実は外側にあるのではなく、自分の心の中にある。

自分の表皮を一枚一枚めくって削ぎ落としていった時、私たちはたまらない不安におちいる。そして、ふたたび皮をまとって自分と他者を区別し、差別する。人にとって、自分の心の枠を外そうとすることは、みずからの崩壊につながるほど恐ろしいことなのだ。

その不安な作業を、終生、行なっていたのが空海ではなかったかと思う。「天才」とはまさに、その不可能にたえず挑んでいった人間だったのではないかと思える。P362-364
NHK取材班「『空海の風景』を旅する」(中央公論新社 2005)


執筆時期を考案すると、司馬遼太郎は「坂の上の雲」にて日本という国家を書くかわたらで、「空海の風景」のおいて「国家」という枠を外れた人物像を想像していたようだ。

本書は、2002年1月4・5日にNHKスペシャルでテレビ放映された『空海の風景』の制作秘話がスタッフによって執筆されている。プロジェクトが発足してからしばらくして、「2001.09.11」が起きた。そこで問われたのが「なぜ今空海なのか?」ということだった。そして、1976年に司馬遼太郎が描いた「空海の風景」から25年以上が経過した「今」において、どのように空海を描くのか。

本書では、空海の今、そして司馬を通じた空海の今という2つの「今性」を抱え込んだプロジェクトとなっている。複数の時を超越しながら発見された世界観を体感する上では、非常に有益な論考となっている。その中でも私が注目したが「空海と性欲」についてであった。

空海は自分の体の中に満ちてきた性欲というこの厄介で甘美で、しかも結局は生命そのものである自然力を、自己と同一化して懊悩したり陶酔したりすることなく、「これは何だろう」と、自分以外の他者として観察するという奇妙な精神構造をもっていた。この一事で空海は他の若者とまったくちがう何者かとして奈良の大学に存在した。P103-104
NHK取材班「『空海の風景』を旅する」(中央公論新社 2005)


この時の空海の哲学は、後の最澄との関わりにおいて如実に反映されていると思わされた。

想起されるのは、最澄が頼みこんだ『理趣釈経』借覧を拒否したときの空海の姿だ。空海は、この経典が男女間の性交の無自覚的な奔放につながることを警戒していた。たんに欲望を肯定するだけではなく、欲望をみずから自在にコントロールできる境地に達するためには、文字面の理解のみでは不可能とし、そのためには厳しい修行を通じて身をもって経典の真意が体得されることが必要だと考えた。密教に全身を投じる覚悟のない者が、その思想を断片的に吸収、引用することは、薬を猛毒に変えるように、きわめて危険なことと自覚していたと思われる。P299
NHK取材班「『空海の風景』を旅する」(中央公論新社 2005)


先日「LSD: Problem Child and Wonder Drug」というドキュメンタリー映画を見た。この映画は、LSDの発見者、アルバート・ホフマン博士の100歳の誕生日を記念に2006年、1月11-13日にスイスのバーゼル市で開催された「国際LSDシンポジウム」を撮影したものである。

私は、ZEN/SEX/LED/BMIというものを1つの系の中で論ずる可能性を考えてみた。それは意識変容の経験というものではなく、意識変容技術を飼いならす技術という地平での話しである。その話をするためには「倫理」という言葉では扱える範囲が狭すぎる。恐らく「アート/哲学」に対する根本的理解と突発的行動を合わせ持つことでしかものが飼いならせないと思ってきている。これはいよいよ楽しくなってきた。

■参考リンク
241旅 『『空海の風景』を旅する』 NHK取材班



■tabi後記
明日は円覚寺で坐禅会です。
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2009年10月09日

tabi0310 山本冬彦「週末はギャラリーめぐり」

画廊は無料の美術館
私は今美術館に飾ってある作品が当時、町の画廊に飾られていたと仮定して、自分はそれを買っただろうか?という「買う(所蔵する)」モードで見るようにしています。買うというモードで観ることで現代のギャラリーで見る作品だけでなく、既に美術館に収まった歴史的な作品も選択肢となるわけで、時空を超えた自分だけの空想コレクションを楽しむことができるのです。P143
山本冬彦「週末はギャラリーめぐり」(筑摩書房 2009)


美術館に行くと一番混んでいるのが、入り口の作家の略歴と解説ボードの前でしょうか。そこには、過去の知識や成果をトレースすることによって「◯◯展」を見たという実感を得るためのイニシエーションが交わされているように思ってしまいます。

そこには本当の鑑賞家ではなく、単にキュレーターが決めた通りの観光コースを見学した旅行者を見ているような気分です。評価の定まった作家、人気の作品というのは当然専門家が選んだものであり、その意味で価値のあるものには違いありませんが、それでは単なる追体験に過ぎないのではないでしょうか。

自ら主体的に「鑑賞」したいならば、無名との対峙、そして「見る」という安全地帯における楽しみよりも一歩踏み込めな「買える」スタンスに立てる場所にいくのが望ましいのではないか?そして、著者は、そのためにこそ画廊は開かれていると説明されています。

あなたは「買って手に入れたい」、「盗んででも自分のものにしたい」、そのように思える「モノ」に最近出会えていますか?心をかき立てるような情熱的で創造的な消費行為を行なっていますか?そのようなメッセージを本書の底流には感じます。

それらの「所有」「消費」という欲望が、なぜ湧き上がってくるのか?この作品に執着する私は何者なのか?このような自己省察の機会としても、ギャラリー巡りをすることは有意義なのかもしれません。本書で紹介されている画廊巡りコースや展力というサイトなどを利用して、町へ飛び出してみるのも良いかと思います。

■参考リンク
はるレポート
久恒啓一の「今日も生涯の一日なり」



■tabi後記
本書は長谷川徳七「画商「眼」力」を生活に落とし込んだ本だと思います。天気は快晴。
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2009年10月07日

tabi0309 湯浅誠「どんとこい、貧困!」

日本に生まれたという「溜め」を生かすには
”溜め”とは、「がんばるための条件」で、人を包み込むバリアーのようなもの。 お金があるのは、金銭の”溜め”があるということ。 頼れる人が周りにたくさんいるのは、人間関係の”溜め”があるということ。 そして、「やればできるさ」「自分はがんばれる」と思えるのは、精神的な”溜め”があるということだ。

誰もが同じ"溜め"をもっているわけじゃない。"溜め"の大きさは、人によってちがう。

たとえば、お金持ちの家に生まれて、両親がいい人でやさしく、頼りがいがあって、自分も自信満々、いつだって「自分はできるさ」と思えるような人は、お金、人間関係、精神的な”溜め”が全部そろっているから、大きな”溜めに包まれている。

逆に、お金のない家に生まれて、両親も仲が悪く、自分のことなんてかまってくれない。自分も、いつもどうしても「どうせおれ(私)なんて…」と思ってしまう人は、包んでくれる”溜め”が小さい。P45〜46
湯浅誠「どんとこい、貧困!」(理論社 2009)


「反貧困」を掲げる彼らの活動は、ぼろぼろになってしまったセーフティネットを修繕して、すべり台の途中に歯止めを打ち立てること、貧困に陥りそうな人々を排除するのではなく包摂し、”溜め”を増やすことであるという。

本書を読む限りでは「自己責任論」を否定して、最低賃金や生活保護などの「ナショナルミニマム」を引き上げるよう政府に求める、伝統的な「ものとり論争」を感じてしまう。もちろん、そういった側面だけが彼らの全てではない。無謬性の想定はなく、建設的な姿勢もみられる。

しかし、それを差引いても「溜め」を分配することに視点が行き過ぎるあまりに「溜め」の視点が狭くなっている。

こういう事後の裁量的再分配が横行する社会においては、誰も財を築こうとしないだろう。これは深刻な私有財産権の侵害だ。もし日本が「経済的に成功すれば公権力がやってきて収奪する」ような不公正な社会だと認知されれば、そのような「後出しジャンケン」を嫌う資本が海外流出し、より深刻な不況を生むだろう。

あなたが起業家だったら、日本で起業するか? あなたが投資家だったら、日本に投資するか?
非正規雇用問題:「ババ抜き」ゲームをやめればいい


上記の記事を読んで、自らが想定しているものをフラットにしてみよう。その上で「溜め」について考える。本書でいう「溜め」というのは、アマルティア・センのいう「Capability」のことであろう。「Social Capital」や「ハビトゥス」などを連想する方もいるかと思う。

確かに、生まれながらによって獲得している「溜め」があるのは事実である。これを反論することは出来そうにない。

だが、溜めを分配せよ!というのは視点として狭いのではないだろうか。私が一読する中で考えていたのは、溜めがない中に「溜め」をみることだった。

例えば、本書で取り上げられる「貧困層」の中で読み書き計算が出来ない人は少ないだろう。これは「溜め」ではないだろうか?世界には読み書き計算が出来ずにいる人は五万とおり、それらを教育する者も不足している。

生活保護が数万円もらえることは世界的にみれば「溜め」である。手当による年収100万円というのは、日本国という最低限の生活をするコストが高い場所にいると貧困になってしまう。しかし場所を移せばどうだろうか?

以上のことは、弱者を甘やかすのではなく、弱者を成長させる仕組みをつくるには(例えばグラミン銀行のように)どうすればいいかという思念の過程である。

今の私が思い浮かぶアイデアは、ホームレス、ワーキングプアといわれる貧困層を、「海外で活躍する人材」として途上国へ送り込むことだった。カンボジアやバングラディッシュにおいては、彼らの教育水準や所得水準は十分に「溜め」がある状態である。

初期投資として30万円を渡航費と現地語の修得のための貸出しを行い、途上国で教師などの仕事について頂く。現地で稼ぐ収入(教師/通訳/その他)から利率を乗せて返還してもらうという仕組みである。

この人材育成/派遣は、もし実現出来るとしたら外交的にも優れた政策ではないか。一人でこのような想像をしていた。ワーキングプアではなく、教育者として途上国に派遣する事業を行なう。住む場所がなく、家族等の身寄りがいないというのは、ある視点でみれば「失うもの/背負うもの」がないということであり、最上にフリーな方々なのではないだろうか?

繰り返して言う。【あなた】がやるべきことは「差別反対」と叫ぶことではない。被差別者を自ら雇い、ボロ儲けすることだ。

雇用差別などという問題は存在しない。そこにアービトラージの機会があるだけである。【あなた】がすべきは、「差別」の告発ではなく、「被差別者」(とあなたが考える人たち)を雇って、自らボロ儲けすることである。それが社会の変革になる。
雇用差別という問題は存在しない


私には高等教育まで無償化したところで、中国をはじめとした労働者にコストで勝てるとは到底思えない。また、世界水準で創造的な仕事をする人材に「全員」がなるとも到底思えない。

であるならば、自らの「溜め」よりも下にいる層に対して、貢献するモデル。自己重要感を獲得できるように「雇用」をするのがよいのではと考える。

■参考リンク
池田信夫 Blog 反貧困―「すべり台社会」からの脱出
雇用保険制度は失業率を底上げしている



■tabi後記
ざっくりしたアイデアなので、建設的にデータや実現可能性を模索してみたいと思う。
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2009年10月06日

tabi0308 開高健「ベトナム戦記」

ルポルタージュ、それは内面の戦争
銃音がとどろいたとき、私のなかの何かが粉砕された。膝がふるえ、熱い汗が全身を浸しむかむかと吐気がこみあげた。たっていられなかったので、よろよろと歩いて足をたしかめた。もしこの少年が逮捕されていなければ彼の運んでいた地雷と手榴弾はかならず人を殺す。五人か一〇人かは知らぬ。アメリカ兵を殺すかもしれず、ベトナム兵を殺すかもしれぬ。もし少年をメコン・デルタかジャングルにつれだし、マシン・ガンを持たせたら、彼は豹のようにかけまわって乱射し、人を殺すであろう。あるいは、ある日、泥のなかで犬のように殺されるであろう。彼の信念を支持するかしないかで、彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。それが《戦争》だ。しかし、この広場には、何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた。P168
開高健「ベトナム戦記」(朝日新聞社 1990)


ベトナム社会主義共和国は、面積 32万9241km2(日本の約90%),人口約8520万人(2007年)で、国民の約90%がキン族(ベト族)で、その他は50以上の少数民族が存在する国でラウ。宗教は約80%が仏教徒,キリスト教(9%),その他はイスラム教,カオダイ教,ホアハオ教,ヒンドゥー教となっている。

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1887年から1954年7月にディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北するまで、フランスの支配下になったインドシナ半島東部地域である。ジュネーヴ協定を結び、ベトナムから撤退し、独立戦争は終結した。

同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。そして10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ジン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にする。それ以来、この「南北ベトナム」は世界の象徴として語られ始めるのである。

あとで私はジャングルの戦闘で何人も死者を見ることとなった。ベトナム兵は、何故か、どんな傷をうけても、ひとことも呻かない。まるで神経がないみたいだ。ただびっくりしたように眼をみはるだけである。呻めきも、もだえもせず、ピンに刺されたイナゴのように死んでいった。ひっそりと死んでいった。けれど私は鼻さきで目撃しながら、けっして汗もかかねば、吐気も起さなかった。兵。銃。密林。空。風。背後からおそう弾音。まわりではすべてのものがうごいていた。P168
開高健「ベトナム戦記」(朝日新聞社 1990)


私は《見る》と同時に走らねばならなかった。体力と精神力はことごとく自分一人を防衛することに消費されたのだ。しかし、この広場では、私は《見る》ことだけを強制された。私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。機械のごとく憲兵たちは並び、膝を折り、引金をひいて去った。子供は殺されねばならないようにして殺された。私は目撃者にすぎず、特権者であった。私を圧倒した説明しがたいなにものかはこの儀式化された蛮行を佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。安堵が私を粉砕したのだ。私の感じたものが《危機》であるとすると、それは安堵から生れたのだ。広場ではすべてが静止していた。すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。単純さに私は耐えられず、砕かれた。P169
開高健「ベトナム戦記」(朝日新聞社 1990)


■参考リンク
ベトナム・ハノイに行ってきました。



■tabi後記
本を読んで分かることは部分的かつ一面的であることは、人並み以上には感じているつもりである。それでも読むのはなぜだろうか?それは、実際に東南アジアに行く,見るという「経験主義」に振り切らないための防波堤なのかもしれない。ただし、知識の確認作業として「現地」へ行くのではない。外的確認→外的統合→崩壊→内的統合→内的確認が起きるのではと企図している。
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tabi0307 三留理男「悲しきアンコール・ワット」

博物館という権威を壊す事実
一般に、現在のカンボジアとベトナム両国の関係は、これまでになく蜜月関係にあるといわれている。ベトナム戦争時代はともにアメリカと戦った盟友であり、カンボジアのポル・ポト恐怖政治を終わらせたのもベトナムである。歴史的にはそのとおりなのだが、一般のカンボジア人は違った見方をしている。彼らはいまもなお、植民地(フランス)時代と同じように、常にベトナムが上で、カンボジアが下、一番はいつもベトナムでカンボジアは常に二番の位置に固定されているような気がしているらしいのだ。P79-80
三留理男「悲しきアンコール・ワット」(集英社 2004)


カンボジア王国はインドシナ半島にあり、国民の90%以上がクメール人(カンボジア人)である。言語はクメール語(カンボジア語)、宗教は仏教(上座部仏教)である。面積は18万1035km2で日本の約50%、人口約1338万人(2008年)となっている。

1884年にフランス保護領カンボジア王国となり、1953年にカンボジア王国としてフランスから独立する。1970年のベトナム戦争の影響を受けて勃発した内戦は、1991 年にパリ会議が開催されるまでの約22年間の長きに及んだ。

そして、1976年から約3年間に渡って続いたポルポト政権の独裁政治および虐殺という歴史を経て、「東洋のパリ」と呼ばれていたほどのカンボジアの文化や社会は荒れ果ててしまった。

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カンボジア政府によると、カンボジアにはアンコールワットの他にも仏教やヒンズー教の遺跡が1000ヶ所以上あり、文化財がたくさん残っている。しかし、植民地支配や内戦など不幸な歴史が折り重なり合い、盗掘が相次いできたらしい。

古くはタイのアユタヤ朝との戦いに敗れてアンコールワットの美術品が戦利品として持ち去られたし、フランスの植民地支配時代にはアンコールの仏像の美しさに魅せられた不心得なフランス人達が遺跡から仏像を切り取ってフランスに持ち帰るなどした。

第二次大戦後に独立を果たしたものの、貧しさのために盗掘はエスカレートし、内戦期やポル・ポト派が国を支配した時代には公然と文化財がタイへ持ち出され、世界中に密輸された。1993年にポル・ポト派とフン・セン派で停戦合意し、その後はカンボジアに平和が訪れ、遺跡の盗掘も止むかと思われたが、事態はそう単純ではないようだ。

というのも現政権の政府軍は、断続的にポル・ポト派を吸収するかたちで成立しており、軍の要職をポル・ポト派の元幹部が担っているらしい。従って地方によっては政権の力が及ばず、賄賂を握らされた軍人達が盗掘を黙認しているケースもあるそうだ。

ここで考えるのは、文化財があるべき場所は、遠い先進国の博物館のガラスケースの中なのか、愛好家の管理の行き届いた金庫の中か。筆者の三留さんは、違う、と言う。

「その地から出土した物は、基本的にはその地に戻すべきではないだろうか。」P161

仏像は寺に、ギリシャ彫刻はアテネの山に、アンコールの文化財は、アンコールの森のなかに。その情景を守ろうとしている人たちの闘いぶりを伝えて、ルポは終わる。この問いは「博物館」という権威にヒビを入れるものとなるだろう。そして読者は思考を迫られる。

話は転じて、このような内戦からの復興・発展に向けて、社会をリードする役割は若者に期待されている。それは、カンボジアの人口の構造としてそもそも若者が多いことに帰すると考えられいるからだ。

同国の人口の70%は、30歳以下であり、52%は18歳以下である。その中でも、国内で一番歴史が深く唯一の王立大学である王立プノンペン大学(Royal University of Phnom-Penh)と、国内で企業に優秀な人材を輩出している国立経営大学(National University of Management)に在学する人たちが注目に値するのだろう。

■参考リンク
portal shit! : 悲しきアンコール・ワット
窪橋パラボラ
東京外国語大学東南アジア課程
カンボジア地図からの旅行
タグふれんず



■tabi後記
降りしきる 雨をかき分け 見初め合う

最近、俳句を何個かつくっているので、載せてみました。
posted by アントレ at 10:30| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

tabi0306 柿崎一郎「物語 タイの歴史」

それは、自分のなかの歴史を読ませるか?
実はタイの歴史を辿っていくと、「世渡り上手」なタイの姿が見えてくる。山田長政がアユッタヤーで活躍した理由は、タイ人であろうと外国人であろうと能力のある人物を登用する伝統がアユッタヤー時代から存在したためである。独立を維持できた理由は、タイに関心を示す列強の勢力を極力拮抗させて、一国がタイ国内で権益を持ちすぎないように調整したバランス外交の成果であり、その過程では領土の割譲というパイを行使して、身を小さくしてでも国を守ろうとした。さらに、第二次世界対戦ではタイは日本の「同盟国」となったものの、括弧付きの「同盟」であったことから戦後に日本と同じような敗戦国としての扱いを受けずに済んだ。P5-6
柿崎一郎「物語 タイの歴史」(中央公論新社 2007)


タイ王国は、東にカンボジア、北にラオス、西にミャンマーとアンダマン海があり、南はタイランド湾とマレーシアと面している。国土はインドシナ半島の中央部とマレー半島の北部であり、面積 51万4000km2(日本の約1.4倍),人口 約6283万人である。

ThaiMap.jpg
タイ王国:タイの基本情報 - General Information of Thailand

本書は、タイの視点を一国史として捉えるのではなく、周辺地域の歴史や世界史との関係性を重視して描写しながら、タイのナショナルヒストリーを批判的に検討するものとなっている。教科書としては良くまとまっており、多くの資料を編集した労苦には尊敬の念を示したい。一方で、まとまった通史ほど平凡なものはないことを再認識させられる。

恐らく、素材の繋ぎ方に価値があると思うので、楽しさを感じる事ができないのだろう。それは旅にも言えることだろう、ガイドブックや口コミや遺産などを「既知」のものを舐め回すような確認作業には楽しみは宿らないであろう。

僕の繋ぎ方としては共時的に生きる同世代が何に違和感(潜めた問い)をもっているかということ。そして、読書を初めとする知的生産生活から「思考の裏側」を垣間みるということかもしれない。そうなると「大学」というものが1つの象徴として立ち上がってくる。タイであれば、チュラーロンコーン大学チエンマイ大学の方々などだろう。彼らが何を考えているのか、思考の深層、違和感の陰部を対話することが出来たらと思っている。

■参考リンク
タイ王国の歴史
バンコク旅行で学んだこととかをまとめてみる
『ホテルバンコクにようこそ』 下川 裕治



■tabi後記
メールではなくTwitterやmixiボイスで呼びかける方が、思ってもいない角度から情報が飛び込んでくる。グーグルとTwitterはリアルタイム検索で激突するかなどから示唆がえられるかもしれません。
posted by アントレ at 21:28| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

tabi0305 藤巻 正己/瀬川真平「現代東南アジア入門」

植民地空間から国民国家へ、そして民族空間へ
日本においては、東南アジアの華人に対して、依然として「華僑」・「中国人」という見方がされがちである。しかし今日、東南アジアの華人の中で、東南アジアを仮住まいの地と考え、また中国のことを「祖国」「我国」という言い方をする者はほとんどいない。また、今でも中国本土の祖先の出身地と送金や手紙のやり取りなどで定期的なつながりを維持している華人はきわめて少ない。P52
藤巻 正己/瀬川真平「現代東南アジア入門」(古今書院 2009)


1943年以降から「東南アジア」という言葉が使われはじめたが、初めて文字として登場したのは1839年のハワード_マルコムの旅行記であった。当然の事ながら日本からみた「東南アジア」は「東南」ではないので、戦前は南方、南洋というように曖昧に呼んでいた。本書で際立つのは、ASEAN諸国における華人の構成比が無視出来ないほど存在することへの示唆である。

・シンガポール(華人77%,マレー人14%,インド系8%)
・マレーシア(マレー人53%,その他土着民族12%,華人27%,インド系8%)
・ブルネイ(マレー人67%,華人18%,イバン人・ドゥスン人など先住民族5%)
・タイ(タイ人系75%,華人14%,マレー人,クメール人,山岳少数民族)

以上の4カ国においては、多民族国家という点だけではなく「東南アジア空間」においては投資,貿易,労働などによって華人を筆頭に常時、人間/民族が移動をしている。

また、イスラム,仏教,キリスト教を初めとする宗教の渾然一体となっており、物理空間、精神空間、時間意識が住み分けられ、混ぜ合わせれている。ASEAN10の面積・人口・宗教・言語・政治体勢が記載された画像を添付する。
ピクチャ 1.pngピクチャ 2.png

このような世界の中で、どのような思考、生活が発生しているのだろうか。分けても分からない社会の中で、自律的に生活が営まれている「背後」にあるもの、もしくは「内部」にある仕立てを探ってみたいと思う。

■参考リンク
新世界読書放浪
ASEAN日本統計集



■tabi後記
最初から、東南アジアという言葉、行き先を国名で呼ぶこと自体に違和感がある。国ではなく文明でとられるというあり方もあるが、僕としては「同じ」を探っていきたい。それは深層的なことかもしれないし、言語的なことかもしれない。差をつかまえて、分けいることは一線を越えると大いなる価値があるが、それを認めたうえでも、分類とは距離をおいていきたいと思う。
posted by アントレ at 17:13| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

tabi0304 鶴見良行「東南アジアを知る」

包丁を持って旅に出よう
台所という場は、学者の仕事場である書斎よりも、学者にとってより豊かな発見の場所である、と私は考えています。料理好きの私は、包丁をたずさえて東南アジアを旅しているのですが、台所で料理させてもらうことは、食というかれらの暮らしの一つの実質に近づけるだけでなく、女衆の労働も観察できます。包丁と台所は、文化人類学的なアプローチにとって、まことによき切り口だと思います。P156
鶴見良行「東南アジアを知る」(岩波書店 1995)


どこの国であれ、書かれたものをはじめとする文字史科は、生活に余裕がある"エライさん"が残したものであり、歴史認識のこのまぬがれがたいゆがみを克服するには、宮本常一のような「歩く学問」が必要であると説かれている。主に、自分で歩いて現場を見ることと、自分で作業に加わってみることの二つに焦点をあてながら自らの「東南アジア」を綴られている。

このように情報になりづらい「周辺」に意識を向けるのが、鶴見氏のスタンスであった。さて、私にとってのアジアは、どのような切り口になるだろうか。本書を読みながら、いくつか思うところがあったので、その大枠をとらえ次第、出発しようと思う。

■参考リンク
1199旅 鶴見良行『東南アジアを知る 私の方法』



■tabi後記
組織の時代は終わったと分かっているのに、なぜ組織に個人は居着いてしまうのか?この矛盾を解消するのが、これからの働き方なのだろう。
posted by アントレ at 06:28| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

tabi0303 旅行情報研究会「バックパッカーズ読本」

恐れずに。しかし、気をつけて。
バックパッカーの旅を最も適切にいい表せるのは「貧乏」ではなく「自由」というキーワードだ。現地に着いた瞬間から、どこへ行くにも、なにをするのも自由。自分で好きな場所に好きな宿を探し、チケットを取って行きたい待ちに行く。見たい国へと旅をする。いつ食事を取ろうが、観光しようがしまいが、すべては旅行者の自由なのである。P1
旅行情報研究会「バックパッカーズ読本」(双葉社 2007)

今更バックパーカーに興味が出てきた私には、事前準備、危険対策、様々な交通モデルプランから各国/旅人のデータまで、最低限必要な知識が網羅的に編集されていたので分かりやすかった。

普段から、日々の生活が東京のいたるところでも行なえるかのか?を実験しているのだけれど、最近そこまでの差異が見えてこないことに不満を抱いていた。関西や四国や沖縄といった国内の旅行にいくよりも、海外に出ていってしまった方がトータルでは後者の方が安く上がってしまう可能性があることに気がついてから興味がわいてきたのだった。

同時に読ませて頂いた「週末アジア!」は、現役サラリーマンの著者が、週末にアジアを旅して得られた体験と情報がまとめられている。

週末だけで海外旅行なんてもったいないしなぁ・・・と迷うのが普通の思考感覚なのかもしれないが、少しでも行きたいという気持ちがあれば、思い切って行っちゃったほうがいい。ソンクラーンに参戦してみて、改めて強くそう感じた。どんなに短期でも旅であることには変わりがなく、短期だからこそ強烈に残る記憶をたよりに、ここまで書き進めてきた。たとえ仕事が忙しくても、行こうと思えば週末だけでもアジアには余裕で行ける。問題は、行こうと思うどうか、なのだ。P223
吉田友和「週末アジア!」(情報センター出版局, 2008)


乗継便の関係で、週末海外旅行をするならば、中国・韓国よりもタイやマレーシアに飛んでしまった方が現地に長くいられる。このような環境が整えられてきてからは、高城剛の「サバイバル時代の海外旅行術」にみられるように、アジアや世界を歩きながら、新しい時代を考え/仕事をしていく人が当たり前になっていくのを感じている。

■参考リンク
1140旅 旅行情報研究会『バックパッカーズ読本』
1148旅 吉田友和『週末アジア!』





■tabi後記
ネックとしては、1ヶ月分の本を持っていくのは荷が重いこと、そしてBlog更新の環境がえられるかということだろう。本はスキャンしてデジタル化してしまえばいいと思うが、ネット環境はいかんともしがたいか。
posted by アントレ at 17:50| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

tabi0302 牟田淳「アートのための数学」

脈絡づくりまでの象牙期間
人間の耳に聞こえる音の範囲があります。20Hz~20000Hzくらいの範囲の音の高低が、だいたい人間に聞こえる音です。音の波の速さである音速を仮に340m/sとすると、式3.1から、波長にして1.7cm~17mの音が人間に聞こえる音ということになります。これは可視光の波長(380~780nm)と比べるととても長い波ですね。P43
牟田淳「アートのための数学」(オーム社 2008)


昼と夜では明るさは1億倍も変わっているのに、人間はその違いに気がつかずに生活を送っている。(とはいってもルクスという照度尺度による驚きでしかないのだけど)

何の脈絡もなくサイン、コサイン、タンジェントとやるよりも、ドレミと一緒に三角関数を習った方が飲み込みやすい。デシベルと対数の関係など、あやふやだった知識も生活の話題と紐付ける事で上手く整理される。

プログラマの数学にもみられるような説明態度が本書にもみられた。分かりやすさを提示するためには、分かりにくいことを徹底する期間が必要であると考えている。分けるの魔力に吸い寄せられることでお素晴らしい作品を書く人もいるし、分けずに繋げることで「分かる」をつくる人もいるのだろう。

■参考リンク
厚木と中野ではたらく准教授・牟田淳の奮闘日記
オブジェクト脳@kcg



■tabi後記
日本が示す大小はとても面白い。例えば、不可思議(10^64)無量大数(10^68),刹那(10^-18=クオーク)六徳(10^-19)虚(10^-20)といったものだ。
posted by アントレ at 09:12| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

tabi0301 堀井憲一郎「落語論」

読書もまた落語ではないだろうか
落語はきわめて個人的な体験である。これがどうしようもない出発点である。そこにいろんな可能性が秘められており、絶望的な評論の限界がある。落語の評論は、すべて嫉妬から生まれる。落語は音楽である。また落語は言葉で綴られる芸能である。(中略)落語を評論するものにとって、落語は言語になる。演者にとって落語は音であり、観客にとっても音である。でも、ごく一部の「落語を家に持って帰って振り返りたい"執着する者"」にとってだけ、言語なのだ。ここのところにまず評論の悲しい出発点がある。P160-161
堀井憲一郎「落語論」(講談社 2009)


堀井氏の語り方は、実に巧みである。語りの隘路を提示しながらも、自らも語りの世界に身をおいている。言語的執着で抜け落ちるもの示しながらも、己の執着(嫉妬)をあらわにしていく。このような自己撞着な態度が落語なのかもしれない。

確かに落語は言葉だけに絞り込むと論じやすい。だからほとんどの落語論が、『落語で語られたこと』をもとに展開されているのだ。(みなさんがお気づきのように、それは落語だけに言えることではない)

そして残念なことに、その方向で精緻に語られれば語られるほど、落語の根源からずれていく。落語は、常にそういう“近代的知性の分析”の向こう側にいると著者は語る。ではその向こう側とは何だろうか?

堀井氏は、落語は“厄介な存在である人間”をそのまま反映したものであると語る。そもそも矛盾しているし、言ってることとやってることが違っている。言うことは変わるし、場面によって行動も違ってくる。それが落語であると。その矛盾の中に、或る種の「系」を発見してしまい(勘違いをしていまい)、その概念的魅力を執筆まで忘れない人間が「論」をするものなのだろう。ロゴスへのパトスと、パトスへのログスが垣間見える書籍である。

■参考リンク
情報考学 Passion For The Future



■tabi後記
このブログをどうしようか考えている。僕は、1日1~3冊読んでいることを表現したかったわけではなかった。読書家と思われる事が最も避けなければいけないところだから。
posted by アントレ at 00:18| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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