2009年12月12日

tabi0324 福岡伸一「世界は分けてもわからない」

個人という幻想、一貫という妄想
私たちヒトは全身の細胞をすべて数えるとおよそ六十兆個からなっているといわれています。しかし、ヒトひとりの消化管内に巣くっている腸内細菌の数はなんと百二十兆〜百八十兆個にも達していると推定されるのです。つまり私たちは自分自身の三倍もの生命と共生しているわけです。その活動量たるや尋常なものではありません。

私たちの大便は、だから単に消化しきれなかった食物の残りかすではないのです。大便の大半は腸内細菌の死骸と彼らが巣くっていた消化管上皮細胞の剥落物、そして私たちが自身の身体の分解産物の混合体です。ですから消化管を微視的に見ると、どこからが自分の身体でどこからが微生物なのか実は判然としません。ものすごく大量の分子がものすごい速度で刻一刻、交換されているその界面の境界は、実は曖昧なもの、きわめて動的なものなのです。P82-83
福岡伸一「世界は分けてもわからない」 (講談社 2009)


鈴木健「Divicracy: Dividual Democracy 〜近代個人民主主義から分人民主主義へ〜 」Ustream(45:00から)で拝見した。

プレゼンの中では、分離脳やリベットやジョン・C・リリーのイルカ/鯨の話を用いて「Dividual」という概念を補強されている。「胃」による投票を行うという発想は、そういった背景による。本書の動的平衡も、分人民主主義というものを支える思想になるだろう。

彼女の視線は私におそらく赤い光の粒子を投げかける。彼女の視線に気がつかない私の眼に、ごくわずかな光の粒子が入ってくる。斜めの方向から私の網膜の周縁部に。視細胞はその粒子を鋭敏に検出し、信号はすばやく視神経を伝わって脳に注意喚起をもたらす。私はおもむろに顔を上げて光の方向を見る。彼女の視線はまっすぐにこちらを貫いている。ほんの一瞬、眼と眼が合う。彼女ははっとしてその美しい髪を揺らしながら視線をはずす・・・。P34
福岡伸一「世界は分けてもわからない」 (講談社 2009)


■参考リンク
読書の記録
All About ...+Me
活かす読書



■tabi後記
今見ている視野の一歩外の世界は、視野内部の世界と均一に連続している保証はどこにもない。

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2009年12月08日

tabi0323 三浦俊良 「東寺の謎―巨大伽藍に秘められた空海の意図 」

空海にとって東寺講堂二十一尊像は宇宙だったのか
人間はいつも崖っぷちにたっているんだと。崖っぷちにたって明日もわからない、一寸先もわからないところにたっているのが人間なんだということです。明日もあさってもあるとおもうのが問題なんです。ちゃんと生きているということは、目標に向かって命をかけ、そして願いを込めてやりとおすこと。「信に死して願いを生きる」ということです。
(中略)
ひとりひとりが独立者です。独立者の集まりが、仏教でいう運命共同体、つまり僧伽(さんが)なのです。P361-362
三浦俊良 「東寺の謎―巨大伽藍に秘められた空海の意図 」(祥伝社 2001)


空海の風景を探るために、東寺を訪れました。

空海は774年6月15日に、讃岐国(香川県)多度郡屏風ヶ浦で生まれ、父は多度郡の郡司の佐伯直田氏(他の説もあるが)、母は阿刀氏の出身で、のちに玉寄御前といわれる。空海は幼名を真魚といった。15歳から阿刀大足のもとで学業に励んだのち、18歳で大学に入学するが、1年で大学を飛び出してしまう。

僕は、大学を飛び出した793年から空海が「日本」に帰ってくる806年までの期間に多大な関心を寄せている。周知のとおり、空海は恵果を引き継いだ。密教の教えを伝える伝法阿闍梨は、龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏、一行、恵果、空海となる。これを真言宗伝持八祖という。

恵果は、805年12月15日、空海と出会ってからわずか半年後に入滅される。この半年間に、空海と恵果の間で交わされたのは何だったのか。灯明が消えかかるときに一瞬大きく燃え上がる輝きに似ている半年間。大学も日本も仏教も、様々な概念を飛び越えていったトラベラーとして空海を探求していきたいと思っている。



■tabi後記
平安京は桓武天皇によって794年11月22日に遷都されたが、ここの朝堂院は10年前に建てられたばかりの長岡京(平城京が遷都したところ)の建物が移築されていること知った。奈良に偏在する「せんとくん」は批判的な素材を提供してくれる。「「京」の変遷」ということも関心がある。
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2009年12月06日

tabi0322 西岡常一/小川三夫/塩野米松「木のいのち木のこころ」

宮大工、彼らは、寺院建築に山の命を生き移す者
弟子のなかにも早く覚えたいからといって本を読むやつがいる。鉋の刃はこうしたほうがいい、こういうときはこうすればいい、って書いてある。そいつがそのことを仲間に話すわな。みんな、なるほどと思う。言葉っていうのは便利で、なるほどと思えばそれで自分ができる気になるからな。俺にも聞いたようなことを質問してくる。しかし、俺は言葉では教えんよ、やって見せるんだ。しかし本で覚えたことは自分の手でやっていないから、俺が手本を見せてもなかなかわからんわ。そういう意味で本を読んでも無駄や。それどころかそんなことに気を遣い、意識するだけ上達は遅くなる。棟梁が俺に手紙をくれて、「心を空にして指導教示を受け入れる様に」って書いてあったけど、そのとおりなんだ。P293
西岡常一/小川三夫/塩野米松「木のいのち木のこころ」(新潮文庫 2005)


西岡常一にとって寺院建築とは千年近い山の命の形を変えたものだった。

西岡常一や弟子の小川三夫の言葉を噛み締めれば噛み締めるほど、彼らは希有な仏教信者なのだという思えてくる。彼らは、その生き方こそが神官に近いのかもしれない。

法隆寺の棟梁といっても、毎日仕事があるわけではない。そのような仕事のないときには農業をやって食っているのだという。「宮大工というのは百姓大工がいい」というのは、彼が農業専門学校に通わされたことに起因していると思う。(その推挙をしたのが彼の祖父である)。

神官として生まれついて定められた信仰の派生に宮大工があるのだろうか。

■参考リンク
一生を、木と過ごす。宮大工・小川三夫さんの「人論・仕事論」。「これでも教育の話」より。
[書評]宮大工西岡常一の遺言(山崎祐次)
見知らぬ世界に想いを馳せ



■tabi後記
金曜、土曜と奈良・京都を探索しております。法隆寺には行かないと思いますが、三十三間堂/興福寺/東大寺/東寺などは圧巻とするものがありました。
posted by アントレ at 11:36| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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