2008年12月12日

tabi0005 内田樹 名超康文「14歳の子を持つ親たちへ」

「超えられない一線がある」というのは事実的認知じゃなくて、本当は遂行的な命令だと思うのです。「超えられない一線」というものを構築せよ、という社会的要請なんですよ、あれは。それを強い言い方に言い換えると、「一線はある」っていうふうになる。(中略)その起源における「作為性」を僕たちは忘れてしまう。人間がむりやり作り出したものを、自然の中にもとからあったものだと思いこむ。(中略)だから、もう一度、人間社会が成立した起源の瞬間まで戻って、「超えることのできない一線が私たちの内部に実在する」ということにしませんか、と(笑)。もう一回身銭を切って、フィクションを再構築しなければいけないんじゃないかと思いますけど。P26
内田樹 名超康文『14歳の子を持つ親たちへ』(新潮新書 2005)

☆☆が続いているので、選書を変えていこう。今回は、同姓のため気になる存在の樹さん。精神科医の名超さんとの対談本である。


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教育論を直には論じずに、身体論やコミュニケーション論を迂回し、チクチクと本質へ迫っていこうとする。

自己語りの依拠におけるトラウマというのは、一人の人間が人格として成り立っているのは、数え切れないほどのファクターの効果であるのに、「実はオレがこんな風になったのは、6つの時にこんなことがあったからなんだ」といような話。

そこに「嘘っぽさ」を感じるのが<エビ>である。それは、「実は、お前がそんな風な人間になっているのは、さっき食ったエビが不味かったからじゃないか(笑)」というようなメンタリティーである。

過去を前未来形で語るとは、承認や敬意や好意など自らの語りに対して解釈を自明としているということであって、そこに<エビ>性は出現しない。

■ 著者ブログ
内田 樹



posted by アントレ at 22:31| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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