《統治されること、それは、資格も知識も徳もない輩によって、厳しく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪される事である。(中略)これが政府というものである。その正義である。道徳である。・・・おお、人間の人格よ!お前は、六十世紀もの長い間、この惨めさの中に埋没していられたのか?》。バクニーンにとって、国家は《大衆の生活をむさぼり食う抽象物》であって、《その抽象物に守られ、それを口実にして、現実の願い、すべての生き生きとした力が、鷹揚にも満ち足りて死にいたり、埋葬されるに委されている広大な墓地である》なのである。P24-25
ダニエル・ゲラン「現代のアナキズム 」 (三一書房 1967)
40年前の新書を読む機会はそうないことだ。ソ連崩壊というファクトがある中で、どういった解釈を行うかがもとめられる。
プルードンは私的所有の弊害を見て共同所有を求めることも、私的所有の弊害を無視することも、ともに有害であるとして、人は矛盾とともに生きる覚悟を持ち、バランスを保つべく認め合い協力する「相互主義」が大切であると述べた。
その思想を現実化するために1849年に27千名の会員による『人民銀行』という名の相互信用金庫を創設するとともに会員相互に通用する地域通貨を発行している。
バクーニンの功績の一つは、マルクスの主張するプロレタリア独裁とは、実態は少数者による独裁にすぎないと徹底的に批判したことといわれている。しかし、バクーニンもプロレタリア独裁のような過渡的な独裁論を後に考えており、バクーニンは仲間に充てた手紙の中で「見えざる独裁」「不可視の独裁」と呼んでいる。
クロポトキンは当時の進化論者の間で主流であった個体間の生存競争の重要性を否定し、むしろ生物が集団内でともに相互に助け合いながら、環境に対して生存の闘争を繰り広げていると認識した。
このクロポトキン流の相互扶助をベースとした進化論的自然認識が社会に適用されることで、自由な共同体の連合を基礎として都市と農村が有機的に統一された自治的協同社会を実現しようとする。
マルクスもまた国家についての究極的立場は「国家の死滅」であり、その意味ではマルクスの思想もまたアナキズムだといえる。
■ 参考リンク
Wikipedia アナキズム
アナキズムFAQ
■ tabi後記
昨日は良い論考が書けた。明日までに体調が全快するようにしたい。


