2009年01月06日

tabi0038 森村進「自由はどこまで可能か」

リバタリアニズムは「いかなる国家(政府)までを正当とみなすか」と「諸個人の自由の尊重を正当化する根拠は何か」という二つの論点によって分類することができる。前者の論点については、

1 国家の廃止を主張する一番ラディカルな立場が「アナルコ・キャピタリズム」(無政府資本主義)」あるいは「市場アナーキズム」であり、

2国家の役割を国防・裁判・治安・その他の公共財の配給、あるいはその一部だけに限定しようとするのが「最小国家論」であり、

3 それ以外にある程度の福祉・サービス活動も行う小さな政府を唱えるのが「古典的自由主義」である。

後になればなるほど相対的には穏健な立場と言えるが、3が擁護する政府も、今日の大部分の政府よりはるかに控えめな活動しかしない。(中略)個人の自由の正当化の根拠という後者の論点については、

I 基本的な自由の権利、特に自己所有権に訴えかける「自然権論」と、

II 自由を尊重する社会の方がその結果として人々が幸福になるとする「帰結主義」と、

III 理性的な人々だったらリバタリアンな社会の原理に合意するはずだとする「契約論」に三分できる。P21-22
森村進「自由はどこまで可能か」(講談社現代新書 2001)


新書でここまで読み応えがあるものは少ない。以下は、引用文に基づくリバタリアンの分類です。後者の軸にダブリが生じているため、きちんとした区分は行えない。改良の余地があるだろう。

tabi0038.jpg

■ 参考リンク
大阪市立大学法哲学ゼミ
リバタリアンFAQ
Cook it simple, insanity



■ tabi後記
37.1度まで下がってきた。早めに就寝し、万全なる早朝を迎えようと思う。
posted by アントレ at 23:26| Comment(0) | tabi☆☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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