「群衆の叡智」とは、ネット上の混乱が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく(いずれウェブのシステムが進化すれば、そいうことも部分的に実現されるだろうが)、「もうひとつの地球」に飛び込んで考え続けた「個」の脳の中に顕れるものなのだ、私はあるとき強くそう直感した。「新しい脳の使い方」の萌芽を実感した瞬間でもあった。ネット空間と「個の脳」が連結したとき、「個」の脳の中に「群衆の叡智」をいかに立ち顕れさせるか。この部分は確実に人間の創造性として最後まで残ってくるところのように思えた。P17
ウェブ進化は、経済や産業に直接的に及ぼすインパクト以上に、私たち一人ひとりの日々の生き方に大きな影響を及ぼすものなのである。「経済のゲーム」のパワーで産業構造がガラガラと変わるのではなく、「知と情報のゲーム」のパワーで、私たち一人ひとりの心のありように変化を促していく。「もうひとつの地球」の本質はそこにあるのだ。P50
今までは組織への加入は「全人参加」がデフォルトだったわけですが、ネットによってこれは「気持ちだけ参加」が可能になったわけです。そして今後は「気持ちだけ参加」こそ普通になるのではないかと思います」と問題提起した。人間はそもそも多様な能力と関心と知識を持った存在だが、工業化時代の組織では、本来多様であるべき一人の人間の能力・関心・知識の「ほんの一部」を切り取り、その「ほんの一部」をもって「全人」とみなし、「全人参加」をデフォルトとした。ネットはここを突き崩す可能性を提示している。P81
良き「志向性の共同体」作りに多くの人がリーダーシップを発揮するようになれば、無数の営みの中から、「一日五分の善意や小さな努力」を持ち寄る参加者を世界中から惹き付ける創造的コミュニティーも現れるのではなかろうか。P86
梅田望夫「ウェブ時代をゆく」(筑摩書房 2007)
私は「読自祭 」というイベントを毎週おこなっている。読自祭とは「 本を読んだら、今度は「自分」を読め」というコンセプトを実践する集まりである。
対象としているのは、
・読書量よりも積読量のほうが多くなっている方
・1日1冊の本を読んでいきたいと思っている方
・書籍に読まれるのではなく、自分を読むことに関心がある方
・1時間で「利己的な遺伝子」「影響力の武器」「ゲーデル・エッシャー・バッハ」を読めるようになりたい方
です。この会の縛りは、「60分間で書評せよ! 」ということだけ。プレゼン資料は、テキスト,マトリクス,フローチャート,マンガ,etc。
大事にしているのは、書籍内容を網羅的にまとめるのではなく、書籍からインスパイアされたこと、その人間が思考してしまったことを表現することです。 つまり、 書籍を踏み台にして「あなた」の思考を共有することがミッションになっています。
このような事をやろうと思った背景を説明したい。
現在、日本では毎日200冊の出版物が刊行されています。つまり、年間7万冊超の出版物が刊行されていることになります。この刊行スペースでは、 熱心な読書家 でも新刊の1%も読むことはできません。
このような出版環境と相まって、読書に関する本も目につくようになりました。「本を読む本」 という真っ当な読書論や、本田直之さんの「レバレッジ・リーディング」 、 成毛眞さんの「本は10冊同時に読め」 などの用書論が筆頭にあげられるでしょう。
私はこの状況を楽しむと同時に、半ば憂いております。なぜなら、読書の根本である「読自」についてほとんど語られていないからです。

そもそも「読自」とは何なのだろうか?
それは文字どうり、自分を読むということです。 自己分析と違う点は、(読書を通じて)自分を読むということでしょう。 この考えを言語化するきっかけを与えてくれたのが、 「読んでいない本について堂々と語る本」 でした。
この本を3行でまとめると、
・われわれはたいていの場合、「読んでいる」と「読んでいない」の中間領域にいる。
・ある本について的確に語ろうとするなら、ときによっては、それを全部は読んでいないほうがよい。
・本を読まないことも、厖大な書物の海に呑み込まれないように自己を律するための立派な活動なのだ。
つまり、われわれは常に未読状態であり、 未読状態においては「堂々と語る」ことが非常に大切である。 そして「堂々と語る」ためには「読自論」が必要なのです。
上記を読んで、
・未読状態とは何か?
・堂々と語ることがなぜ大事なのか?
・読自論とは何か?
という問いが浮かんだ方がいると思う。 この3つの問いに、簡単に応じたい。 まず認識してほしいのが、 われわれは、常に「5つの未読状態」にあり、 読書に対して「3つの強迫観念」をもっているということです。 そして、その強迫観念への対処法(4つのコメント法)が習慣となっていないのです。
では、3つの強迫観念とはなんでしょうか?
それは、
・本を読まねばならない読書義務
・読むなら全部読まねばならない通読義務
・語るためには読んでいなければいけないという規範
ということです。
そして5つの未読状態とは、
・ぜんぜん読んだことがない本
・ざっと読んだことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本
・読んだことすら忘れてしまった本
をさしています。
対処法としての4つの未読本コメントとは
・気後れしない
・自分の考えを押しつける
・本をでっち上げる
・自分自身について語る
となっている。更なる詳細は書籍に譲ります。
読自祭は上記を基本にして、4〜6人が集まる中で知性が創発されています。僕は、こおで生み出される知性を何かしらのツールで構造化できればと思っています。
また、そのツールによって読自祭が各地で行われることを目論んでいる。そして、そのツールが本書で言及される「文系のためのオープンソース(知的生産ツール)」になることを企図しているのです。
■ 参考リンク
梅田望夫『ウェブ時代をゆく』を語る
生命保険 立ち上げ日誌
極東ブログ
「ウェブ時代をゆく」(1) 儲からない仕事がしたい
「ウェブ時代をゆく」(2)ロールモデリング―「よいこと」を抽出する技術
梅田望夫と福澤諭吉
「世界観、ビジョン、仕事、挑戦――個として強く生きるには」講演録
グーグルに淘汰されない知的生産術
読売新聞書評欄連載で選び評した12冊の本
■ tabi後記
ふと、「CQ+PQ>IQ」という式を思いだした。CQとは好奇心指数(Curiosity Quotient)。PQは、熱意指数(Passion Quotient)である。 引用元は「フラット化する世界」。