2009年03月16日

tabi0096 ジョン・スチュアート・ミル「自由論」

この小論の目的は、じつに単純な原則を主張することにある。社会が個人に対して強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制であっても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。・・・文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。P27

この原則は判断能力が成熟した人だけに適用することを意図している。子どもや法的に成人に達していない若者は対象にならない。……同じ理由で、社会が十分に発達していない遅れた民族も、対象から除外していいだろう。……専制統治は、未開の民族に進歩をもたらすことを目的とし、実際にその目的を達成することで手段としての正しさを実証できるのであれば、正当な統治方法である。P28

人間は支配者としてであろうが、市民としてであろうが、自分の意見と好みを行動の規則として他人に押しつけようとする傾向をもっており、この傾向は人間性に付随する最善の感情と最悪の感情のうちいくつかによって強力に支えられているので、権力を制限しないかぎり、この傾向を抑制するのは不可能である。そして、権力は弱まっているどころか強まっているのだから、道徳的な確信によって権力の乱用に強い歯止めをかけないかぎり、現在の状況ではこの傾向がさらに強まっていくと覚悟しなければならない。P37
ジョン・スチュアート・ミル「自由論」(光文社 2006)


・無謬性の想定は真理を遠ざける態度である
・自分の意見に対してだされうる反論はすべて知る必要がある
・反論と反論へ反反論が論を精緻になっていくからだ
・しかし、精緻さが真理へ到達することはない
・その真理は状況/時代によるものであるからだ
・真理は到達されることはなく、希求する態度に内在している

■ 参考リンク
お互いに不干渉/消極的自由論
リバタリアニズムと右翼・保守・左翼・リベラルとの違い
ミル『自由論』新訳と官僚制への批判
ミル『自由論』:悪魔の代弁者
言論の自由について



■ tabi後記
4年ほど前はディベート三昧だった。科学者の態度と科学哲学者の態度を持ち合わせることがバランスのとれた知性であると思う。
posted by アントレ at 11:30| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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