2009年03月19日

tabi0098 内田樹「街場の教育論」

「どうふるまってよいのかわからないときに、適切にふるまう」能力の涵養こそが教養教育の目的である、と。(中略)自分が何を知らないのか、何ができないのかを適切に言語化する。その答えを知っていそうな人、その答えにたどりつける道筋を教えてくれそうな人を探り当てる。そして、その人が「答えを教えてもいいような気にさせる」こと。それだけです。P120
内田樹「街場の教育論」(ミシマ 2008)


私の目に留まったのは、君子の六芸( 礼 樂 射(弓) 御(馬) 書 数)に関する考察。六芸については、礼についてを参考にされたい。

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著者は六芸のうち四芸( 礼 樂 射(弓) 御(馬))に焦点をあて、教養とは他者とコラボレーションするための作法であるという。専門家とは、「専門用語で通じる」場所(内輪のパーティー)にいる人間ではなく、自分と共通の言語や共通の価値の度量衡をもたないものとコミュニケーションが出来る人間をさしている。ただし、伝統的な教養を復古せよといっているわけではない。大学という場には、このような教養的要素が含まれているのだという主張がなされている。「学際的」「専門家人材の越境」といった言葉に半ば虚しさをもってしまう理由を探るうえで、新たな視点がえられる。

■ 参考リンク
asahi.com [評者]香山リカ
Days in octavarium〜知のカンブリア爆発の果てに



■ tabi後記
関連させると「西洋音楽史」が非常におもしろいです。
posted by アントレ at 14:48| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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