2009年03月30日

tabi0105 ショウペンハウエル「読書について」

自分の考えをもちたくなかったら、一番確実な方法は、一分でも空き時間ができたらすぐに本を手に取ることだ。
(中略)
結局のところ、自分自身の根から育った思想だけに真実と生命が宿る。実際に完全に理解できるのは、自分の思想だけだからだ。本で読んだ他人の思想は、他人の食事の残り物、知らない客が脱ぎ捨てた服のようなものである。私たちの内部からあふれ出た思想が、春にいっせいに咲きほこる植物だとすると、本で読んだ他人の思想は、石に痕跡をとどめる太古の植物である。P13

文体は主観的でなければいいのではなく、客観的でなければならない。どうしてその必要があるかと言うと、言葉というものは、著者が考えているまさにその内容を、読者も自動的に想起できるように組み立てなければならないからだ。しかしそれがうまくいくには、思考にも重力の法則が当てはまるということを、著者がつねに意識していなければならない。つまり思考が頭から紙に下りていくのは、紙から頭に上がっていくよりはずっと容易なのである。P131
ショウペンハウエル「読書について」(PHP研究所 2009)

本書は「読自祭 」と共鳴するところが多かった。

私は、「1日1冊の書籍を読むこと」は全くもってスゴいことと思っていない。ましてや、それを推奨しようとも考えていない。この事を意外に思う方がいるようなので、ちょっと説明をする。

私はこういう考えをもったのは、読書家には、毒書家/読自家という分かれ道があることに気づいたからです。それは「生きるために水を飲むようなインプット経験」と「徹底的思索を行える耐性/体力」がついていない段階で、読書が習慣化してしまうのは危険であるという気づきでした。

tabi0105.jpg

上記を満たさない方は、読書をすることによって、他人に思考の道を歩くことのプロになってしまう。その果てには毒書家が待っています。他人に思考の道を歩くことが容易になってしまった現代(検索バカ)においては、読書においても、他人に思考の道を歩くことに慣れてしまいがち。そういった危機意識を明文化してくれたのが本書です。

本来ならば、本すら読まないで思索を行えるのが良いのだが、読書をせずして天才と呼ばれた人間は皆無といってもよいだろう。読書には価値があるが、「本を読んだら、今度は自分を読め」という言葉を認知する必要がある。読書時間の倍の時間をかけて思索をしてほしい。読書自体に価値を認めない方は、自分の思考の道を相対化することを怠っているか、自分の思考を曝すことにより得られる「批判経験」の価値を感得できていないかもしれない。

下記の参考リンクには読自家へ歩むための方法論が銘記されている。参照あれ。

■ 参考リンク
母の名は「不遇」 - 書評 - 読書について
本ばかり読んでるとバカになる
本を探すのではなく、人を探す



■ tabi後記
「Think Straight, Talk Straight(単純に真っ直ぐ考え、率直に言う)」ってのは素敵な指針である。
posted by アントレ at 17:36| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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