2009年04月08日

tabi0108 生嶋誠士郎「暗い奴は暗く生きろ」

「【人は多くの他力、他人の愛とか思いやりによって生かされている。自力だけで何でも事をなしてきた、これからもそうだ・・・というのは間違い。人は多くの他力によってこその今なのだ】という思い。」P69

「この"ガテン度数"("手に職が有るか無いか度数")という言葉を世に広めたいね。そしてこの度数の低い者は、我々リクルートの人間を含めて「頭を低くして生きる」という姿勢。そう、さあらば、国会議員も評論家も銀行員もマスコミも「自分たちだけでは商売がなり立たない」自覚のもとで頭が低くなり、世の中がまともになる感じがするけど、どうだい」P72

新しい事業は面白い。立ち上げる過程のあれこれも楽しいが、それが成長路線に乗れば喜びも格別だ。だがそれは既に完成している既存事業の利益を使っての行いである。そして既存事業は、おおむね地味で丹念な積み重ねが要求される。そこで言う。

『お互いに「今日のパン」チームと「明日の夢」チームを時々乗り換えながら進もうぜ』と。大切なことはお互いのエールの交換。とりわけ「明日の夢」を追う人達は、「今日のパン」チームに対する感謝の心を忘れてはいけない。その心があれば、新規事業は正しく会社の期待になる。P162
生嶋誠士郎「暗い奴は暗く生きろ」(新風舍 2007)


クリエティブクラスという言葉が流行っていた。

私にとって魅力的な言葉であった。

本書に登場する"ガテン指数"と"他力本願"という概念の前にたたされるまでは。
"クリエティブクラス"への憧景は静かに息をひそめていった。

それは、「両者において価値分別」はないことの知覚である。(今更といわれてしまうかもしれないが、、)私が一面的な阿呆になり、概念の強制熱が高まっていた事である。

本日、その肝を冷やされた。

気づこうと思っていたのかもしれない。
気づたいすら思っていたのかもしれない。

だが、私の自己欺瞞を痛烈に指摘してくれる方がいなかった。
多分いたのだろう。

ただ、指摘される姿勢をあらわせていなかった。
そういう人をさけていたのかもしれない。

今思うことは。


あー両方、楽しそうだなということ。


そこの本質を見極めてこそ、「他力本願」という意味がわかる。ガテンクラスとクリエティブクラスという根のない対立意識はいたるところにあるようだ。

・管理部門とライン部門
・支社と本社
・発展途上国と先進国

etc

本書の言葉を借りるならば、前者は風である。

後者に心地よさ、追い風を提供している。もちろん、彼らに風自体の存在はみえない。自らが動いてい事実をもってしか風の存在は推し量れない。

私は「どのような風」に支えられているだろうか?

この問いを自らへ「そっと」あてはめてみたときに、広がったのは歴史だった。正確にいえば、僕が生まれてから今に生きる道のりである。

・ふらっと立ち寄ったお店
・いずこで生産されたトマト
・理不尽にも怒鳴り散らしてくれた先生
・名もなき僕をひろいあげてくれた助産師

僕は生かされてきた。

そして、生きるときに入った。

そのための力。何かを生かし、守っていくための「力」が必要である。「被ガバナンス能力&君はそうなるな」という精神をもちあわせて生きていきたいと素直に思えた。


posted by アントレ at 19:06| Comment(0) | tabi☆☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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