2009年05月01日

tabi0123 中島義道「悪について」

彼によれば、人間は「自然本性からして」悪である。どんな善人も悪である。この思想の背景としてキリスト教の「原罪」の思想が認められるが、カントの「根本悪」ははるかに人間的である。人間は、みずからより完全になろうと刻苦精励し、他人の幸福を望み他人に親切にすればするほど、必然的に悪に陥る。(中略)
悪はすべての人の「善くあろう」という意志の中に溶け込み、社会を「善くしよう」という欲求の中に紛れ込む。それは、癌細胞のように、生命現象自体にこびりついて、みずからを増殖させていく。といって、われわれは「善くあろう」とすることを完全に放棄して、魯鈍な羊の群れに戻ることもできない。まさに、出口なしである。われわれ人間は全員(どんな極悪人も、どんな聖者のような人も)「道徳の学校」における落第生であり、いくら努力しても、優等生にはなれないのだ。
これを知って、私はむしろほっとする。われわれは、たえず「善くあろう」と欲しながら、行為のたびごとにそれに挫折し、自分のうちにはびこる悪に両肩を落とし、自分自身に有罪宣告を下し、そして「なぜだ?」と問いつづけるほかはない。なぜなら、このことを全身で受け止めて悩み苦しむこと、それがとりもなおさず「善く生きること」なのであるから。P5-6
中島義道「悪について」(岩波書店 2005)


永井さんの視点が参照されていることを望んでいたので、「もっと踏み込んで下さいよ、中島さん」と感じた次第です。もちろん引用箇所を含め、参考になるところは少なくなかった。特に「カントが犯罪行為に対して徹底的に無関心であり、形式を確立させることを徹底化したこと」には関心もてた。それは、実践の形式を確立しから、そこから溢れるもの、庇えるものを規程していくという作法であろう。

■参考リンク
哲学塾カント



■tabi後記
3年前から私のことをチェックしてくれている子にお会いした。ブログを見てくれていることもあってか、非常に気持ちよく話すことができた。上海にいく際には、お邪魔させてもらいますね。
posted by アントレ at 23:09| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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