2009年05月05日

tabi0132 立川武蔵「はじめてのインド哲学」

インド精神史は六つの時期に分けられるが、インド精神が一貫して求めていたものは、自己と宇宙(世界)との同一性の体験であった。世界を超越する創造神を認めないインドの人々が求めた「神」は、世界に内在する神、あるいは世界という神であった。一方、インドは自己に許された分際というものを知らなかった。つまり、自己は限りなく「大きく」なり、「聖化」され、宇宙(世界)と同一と考えられた。もっとも、宇宙との同一性をかちとるために、自己は時として「死」んだり、「無」となる必要はあった。しかし、そのことによって自己はその存在の重みをますます増したのである。
自己も宇宙も神であり、「聖なるもの」である。自己と宇宙の外には何も存在せず、宇宙が自らに対して「聖なるもの」としての価値を与える、すなわち「聖化する」のだということを、何としても証したいという努力の過程が、インド哲学の歴史にほかならないのである。P28
立川武蔵「はじめてのインド哲学」(講談社 1992)


インド哲学は、時間軸、バラモン正統派/非正統派(仏教)、アーリア人/非アーリア人の闘争・融合といった切り口で概観できそうである。

時間軸は立川による切り取りであり、バラモン正統派による思想なのか、正統派の思想の分類は、宇宙原理が、外に存在していると考えるか、存在は妄想と考えるかである。アーリア人/非アーリア人の闘争・融合は、ゴータマ・ブッタが非アーリア系として生まれ、アーリア文化(バラモン文化)と闘争、融合していったところからも分かる。

tabi0132.jpg
立川によるインド精神史の時代区分(1 インダス文明の時代,2 バラモン中心主義の時代,3 仏教などの非正統派の時代,4 ヒンドゥイズム興隆の時代,5 イスラーム支配のヒンドゥイズムの時代,6 ヒンドゥイズム復興の時代)

■参考リンク
インド哲学の話から霊的ヒエラルキアの話へ
意外といけてるインド哲学入門
231旅 『はじめてのインド哲学』



■tabi後記
三冊読自祭では芸が無い。あとひと捻りが必要だな・・。
posted by アントレ at 11:54| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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