恐怖について考えれば考えるほど、恐怖とはそもそも会社設立へと私たちを導いたものと同じものー何か根源的、なかば無意識の欲求、つまり、この世界に自分の印を記したい、自分の足跡を時の砂の上に残したい、という欲求からくるとわかってきます。思うに、本当に恐れるのは、自分たちが単なる大衆の一員となり、人々から忘れ去られてしまうことなのではないでしょうか。P20
ウィルソン・ハーレル「起業家の本質」(英治出版 2006)
起業家を対象にしたビジネス雑誌「インク」の創刊者が語る起業家論です。起業家を農耕/狩猟,サイズ/成長性で分類する視点は改めて参考になったが、購入当初に線を引いた箇所は響かなくなっていた。ハーレルに共感するところが薄くなってしまったのだ。
理由としては、引用文にもある「恐怖」に対する考えが変化したことだろう。私は、「時の砂の上に足跡をのこす」ことや、「単なる大衆の一員になること」への恐怖/危機感がこれぽっちもない。それよりも「砂」や「大衆」といった概念から脱すること。自らが時をつくり、一員という枠を創造することに関心が向いている。同時にまた、それを為せない可能性に対する恐怖もない。(とはいっても、概念創造という意味では同定なのかもしれない)
なんと表現すればよいだろうか。多世界的に生きたいというか、いや、生きている。1つがダメだったら、それで終わりという生き方が原理的にできずにいて、またそれを肯定することができる私をもっており、肯定するだけではなく、もとの「居場所」よりも見晴らしの良い地点へ戻っていける自分が存在していると信じきっている。ちょっと止まらなくなりそうなので、このあたりで終わりにしてみます。
■tabi後記
安斎利洋さんのゼミに参加する。ポリフォニーと絡めて、ポリリーディングという発想を頂いた。
いつか何かを創る人間である、ということを自己の存在理念とできるのは素晴らしい。だいたいはその漠然さが恐怖だからハーレルの言葉が身に染みたまま生きていくわけだけど。ハイデガー・・・
自分探しなんてのは私も大嫌いですけどね。養老孟司の思想ですかね。割り切り。