2009年05月08日

tabi0141 遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」

遺体の現場とともに生き、日々集められる遺体から新しい発見を繰り返し、遺体を未来まで引き継ぐ。こうした私たちの営みの中心にはいつも動物園や博物館がある。そしてそこから生まれてきた一つの知の体系が、この本の中心をなしてきた、身体の歴史にまつわるいくつもの話だ。もうお気づきだろう。遺体科学は、市民社会全体が創っていく動物園や博物館と切っても切れない関係にある。読者のあなたが、動物の遺体を知の源泉として理解するかどうか、動物園や博物館を未来の科学の中心であると認識するかどうかで、遺体科学の発展の成否は決まってくるのである。P243
遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」(光文社 2006)


些細な記述であったが、遺体科学者の研究精神は参考になる。遺体科学者にとっては、遺体に対峙する前から闘いははじまっているのである。それは、「自分の目の前に1匹の狸がきたとしたら、どこを見て、どう切り込むか、どこに調査報告をするか..etc」を常にシミュレーションしているのだ。なぜなら、遺体発見連絡/遺体確認を行ってから意思決定をするまでの時間が制限されているからである。つまり遺体の鮮度に起因からだ。

彼らの行いを抽象化すると、情報の入れ物と出し物と組み合わせを身体的にパターン化しているのだろう。遺体状況の把握等は美術品・骨董品の目利きのようなもので、明確に状況把握を出来ることではない。私にとっては、彼らが、どのような認知過程を経ているのかに関心が湧いてしまった。

■参考リンク
Homo Ikiataribattus
DESIGN IT! w/LOVE



■tabi後記
山中俊治さんのブログがクールだ。
posted by アントレ at 23:49| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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