2009年05月11日

tabi0146 平川克美「ビジネスに「戦略」なんていらない」

人間の人間性を基礎づけているのは、この「絶対的に遅れて世界に到来したことの覚知」です。先ほどの比喩を繰り返せば、「すでに始まっているゲームにプレイヤーとして参加することを通じてゲームの全体をだんだんと理解してゆく」という背理的なありようだとぼくには思えるのです。
ぼくたちが立っているこの場はすでに誰かが作ったものであり、誰かが出した「パス」をそれと気づかぬまま受け取ってしまったという仕方で、ぼくたちはそのゲームの当事者になっている。ですから、そこで行われている交換が「等価交換」であるはずがないのです。それは最初の「贈与」から始まる(人類の歴史と同じだけ長い)連鎖反応から派生した、ひとつの効果にすぎないんですから。
ですから「オーバーアチーブ」ということは、本当はありえないんです。というより「与えられたものと等価のものを返す」という適切なる反対給付が人間にできるはずがないのです。だって、起源よりさらに前の起源(レヴィナス老師の言葉を借りて言えば、「いまだかつて一度も現在になったことのない過去」」)において、誰かに何かを譲渡されたことによって「アチーブする」主体そのものは立ち上げられたわけですから。P239-240
平川克美「ビジネスに「戦略」なんていらない」(洋泉社 2008)


「人間がビジネスをするのではなく、ビジネスをする動物が人間なのだ。」という射程で本書ははじまる。引用文は、著者と内田樹の対話から。

平川氏が問題意識としているのは、ビジネスを「お金」であれ「達成感」であれ、あるいは経営者の自己実現であれ、明確な目的が事前にあるものだとする考え方そのものが、ビジネスをつまらなくさせているという点について。

そこで彼は、ビジネスプロセスを「収益」や「売上」の手段という地位から引き上げて、ビジネスプロセスそれ自体に「価値」を見出すことに論を進ませる。主に扱われのは、「商品の迂回性」と「交換の反復」の2点。

個人の欲望は必ず「商品」を媒介として、迂回的に実現する他はないと平川氏は考えており、それがビジネスの構造であるとする。もちろん迂回的というところがミソである。つまり、評価が確定され続けないものがあるということであり、その評価されなかった部分はつまりのところ「やりすぎてしまう」ということに繋がる。

例えば、自己評価と外部評価の壁。これは、互いが氷山の一角しか見えていないことに起因しているが、この氷山の一角の「一角」を見えるものにしている無数の条件を我々は無意識のうちに排除しているのだ。そして、その排除したものが何かを分からないあまりに、追い求めている。

そして人間が、使用価値を超え出る象徴価値(ブランド)を求めるのは、それを所有することが社会的位階差を表象するからであると。社会的位階差とは何か?それは、「その人にもう一度会わずにはいられない(しかし、どうやったら会えるのか、そのルールがわたしには明かされていない)という焦燥感」のことである。(ex『ローマの休日』のラストシーン)

以上は書籍内容であるが、ここと絡めて思ったことをいくつか書きたい。1つは、我々に潜んでいる投資家的態度と起業家的態度ついて。もう1つは、欲望について。

投資家的態度とは、未来の株価から出発して、現在の投資を決めるというDCF的態度。これに対するのが起業家的態度は、絶えず現在を更新しながら未来を切り拓くという態度。我々人間は、他者の欲望を模倣し、同時に他者に欲望されたいと欲望する存在である。他者と同じでありたいということ、同時に他者とは異なっていたいということ、この2つの欲望をひとつの精神に宿っていることが、我々の観念的欲望を無限に再生産/駆動していく。

まとめると、「上記にみられる複雑な構造を考えながらビジネスをするのは楽しいぞ」という文系教養人による真っ当なビジネス論です。

■参考リンク
カフェメトロポリス



■tabi後記
S.I.ハヤカワ「思考と行動における言語」とスティーブン・ピンカー「思考する言語」が気になる。さあ、どうでしょうかね。
posted by アントレ at 19:14| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。