2009年05月12日

tabi0150 ジークムント・フロイト「モーセと一神教」

われわれは、エス論者が同時にひとりのユダヤ人でもあった事実を、心情的に出ではなく、思想史的な条件として、深刻に受け止めなければならない。フロイトがひとりのユダヤ人であった事実がモーセ論における「生命と歴史」の謎に深々と突き刺さっているからである。興味深く、また重要な書簡がある。一九三四年九月三◯日付けのアルノルト・ツヴァイク宛のものである。そのなかの一箇所に「新たな追害に直面して人びとはまた、いかにしてユダヤ人は生れたのか、なにゆえにユダヤ人はこの死に絶えることのない憎悪を浴びたのか、と自問しております。私はやがて、モーゼがユダヤ人をつくったという定式を得、私の作品は「モーゼという男- 一つの歴史小説 -」という標題をつけられました:とある。モーセがユダヤ人であったか、エジプト人であったか、これは現下の文脈ではあまり大切ではない。トーテミズムや人類の強迫神経症すなわちエスの勢いではなく、「モーセという男」が「ユダヤ人をつくった」と言明されていることこそが重要なのである。P258 解題 歴史に向かい合うフロイト
ジークムント・フロイト「モーセと一神教」(筑摩書房 2003)


本書の楽しみは3つある。1つはフロイトによる「ユダヤ人論:歴史のIF」としての楽しみ、2つめは、エス論者であるフロイトが自説を徹底した批判精神で論をすすませていくこと。ここでは、フロイトのイメージがガラっと変化するだろう。最後の、3つめは、自らがユダヤ人であることへの闘争である。フロイトがこの仕事に取り組んでいるときは、折しもヒトラーがドイツ政権を担っているころである。この3つの側面を丁寧に論じてるのが、松岡正剛だろう。久々に唸らせてもらった。

私なりに「ユダヤ人論:歴史のIF」についてまとめると、紀元前14世紀ごろアメンホテプ4世がファラオに即位した。頭に変形があったこのファラオは八百万の神信仰であったエジプト宗教を改革し、唯一神アテンを信仰する一神教、「アートン教」を開祖したのだ。このファラオは首都をテーベから300キロ近く離れたアマルナの地に移し、「新しい住民」を呼び込んで政治と宗教を一本化させたという。(エリアーデは、アメンホテプ4世の宗教を「実際には二神教であった」と評しているが)

ところが、このファラオの治世は17年しか続かず、神官団に説得された次代のファラオは首都を元のテーベに戻した。そして、このアマルナの地に残された人々こそが「ユダヤ人」の祖先だとフロイトはいうのだ。やがて異端の宗教である一神教(アートン教)を信じるユダヤ人たちはエジプト人に追い出されることになる。そして、そのユダヤ人を率いたのがモーセ(エジプト人)であったとフロイトは論じる。また、1つ気になったのは、アメンホテプ4世の次のファラオの名前はツタンカーメンであるということ。あの黄金のマスクを残した若き王である。エジプト王朝/エジプト学に関心をもつかたの気持ちがわかるような気がします。

私は、自らが歴史性に紐付けられた存在であることを知れば知るほど恐怖を覚える。それは自由意志礼賛/制約嫌いからくるのではなく、何かもっと根源的な忌避からきている気分のような気がしている。私の根源に眠るもの、フロイトもそれを探究していたのではないだろうか。

■参考リンク
第八百九十五夜【0895】
成毛眞ブログ
エジプト、ナイルを下る



■tabi後記
やはり1つの書籍を精読するのも良い体験になる。
posted by アントレ at 23:24| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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