2009年05月13日

tabi0153 井筒俊彦「神秘哲学 第一部 自然神秘主義とギリシア」

底なき無の心底に陥没しようとする万物を抱きとめ、これを存在につき還すものであるからには、それは森羅万象の生命の源泉、あらゆる存在の太源、いや「存在」そのものでなければならないであろう。それでは、宇宙的愛の主体としての「存在」は窮極に於いてそも何者であり、かつ人はいずこに求めて、この「一なるもの」に逢着できるであろうか。
この真摯な求問にたいして、自然神秘主義は一つの意外な解答を提出する。すなわち、汝の尋求する真実性は、渾然たる一者としての宇宙そのものであり、そしてその宇宙は汝自らにほかならぬ、と。いたずらに妄情を起し、外に向って真実性を尋ねることをやめよ、散乱の念虜を集定して心に塵累を絶ち、ひたすら汝自らの胸の奥処に神を求め、求めつつ汝の心底をうち破って大宇宙に窮通せよ、と。これがすなわち「汝自らを識れ」という神託の神秘主義的解釈である。P34
井筒俊彦「神秘哲学 第一部 自然神秘主義とギリシア」(中央公論社 1991)


自然神秘主義がもたらした解答は、多くの素朴な人々を困惑させ、歴史的宗教の信仰に生きる敬虔な人々に恐るべき冒涜にみえたようだ。それも当然だろう。人が直ちに神となり、自然的宇宙がそのまま絶対者となるモデルをとって生きてなどいないのだから。

自然神秘主義に於いては、人間の絶対否定即絶対肯定となり、人間意識は無に帰することによって宇宙意識となるのである。そこから井筒氏は、宇宙的覚者の生々脈動する意識からどのような思想が発展して来るのかを探究する。そして、この自然神秘主義思潮が勃興した背景をホメロスに遡って考察していくのである。

ホメロスをヘシオドスと対比させて、理想/現実,純客観/主観,ディオニュソス/アポロン,内的霊魂/外的霊魂となる。ここまで書いて考えたが、両者を「ホメロス・ヘシオドス的」と一括りにし、ホメロス/ミレトス学派(擬人神/自然)とするほうが構造としては正確であろう。

そして、彼らの対立構造がヘラクレイトス/タレスと発展し、プラトンにおいて調和が計られたが、再度スプリットしてしまう。内的霊魂は宗教(ユダヤ/キリスト教)へ、外的霊魂は科学(アリストレス)へと引き継がれていく。このような構造を感じることができた。

■参考リンク
1000旅 井筒俊彦『神秘哲学 第一部 自然神秘主義とギリシア』



■tabi後記
なんとなく体力を分解したくなった。

(1)体力の定義
体力とは人間の活動や生存の基礎となる身体的能力とする。主として生存に関与するものを防衛体力とし、主として活動に関与するものを行動体力とする。

(2)体力の分類
防衛体力は、4つに区分される。
1物理・化学的ストレスに対する抵抗力(寒冷、暑熱)
2生物的ストレスに対する抵抗力(菌、ガン細胞)
3生理的ストレスに対する抵抗力(運動)
4精神的ストレスに対する抵抗力(不快)

そして、行動体力も3つに区分される。各能力をもう一段階掘り下げると、7つの力で構成されることがわかる。()には、各体力の測定手法を書いてみた。

1行動を起こす能力
1.1筋力(握力、背筋力)
1.2筋パワー(垂直跳び)

2行動を持続する能力
2.1筋持久力(上体起こし、懸垂)
2.2全身持久力(1500m、シャトルラン)

3行動を調節する能力
3.1平衡性(視覚がバランスを支える、閉眼片足立ち)
3.2協調性(ジグザクドリブル、ボールを的に当てる)
3.3敏捷性(反復横跳び)
3.4柔軟性(前屈)
posted by アントレ at 16:35| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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