2009年05月20日

tabi0166 多木浩二「ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読」

いったいアウラとは何か?時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である。ある夏の午後、ゆったりと憩いながら、地平に横たわる山脈なり、憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを、目で追うことーこれが、その山脈なり枝なりのアウラを、呼吸することにほかならない。P144
多木浩二「ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読」(岩波書店 2000)


写真/映画という芸術作品を起点にして「複製技術時代の一回起性」を論じていく。ベンヤミンは「技術」を第一の技術/第二の技術にわけ、前者がもたらしたアウラの喪失と第二の技術がもたらした遊戯空間の創造を並列に論じている。

礼拝的価値/展示的価値を対立させて、「礼拝的価値=アウラ」と解釈することによって一回起性に重点をおいた思索者としてベンヤミンを捉えることもできるが、彼のユニークさは展示的価値に触覚的可能性を覗きみたところにあるだろう。彼は触覚にはミメーシス喚起と巨大な遊戯空間の同時的開きがあることに迫ろとしたのである。

写真芸術が本質的に志向するのは事物の一回起性そのものである。他ならぬこの自分にだけ垣間見えた世界の一瞬の像を定着させる行為は、その瞬間にどこまでもコピー可能、再現可能、流通可能なデータと化していく。そこで交わされる己の他者と想定する他者からの意味/無意味の反駁合戦がスタートするのである。そこを抜け出す施策として触覚を措定したのは感心するが、本書からは「その触覚」に関する論考は物足りないものとなっている。

■参考リンク
一回起性と写真
第九百八夜【0908】
複製技術時代の教育



■tabi後記
石井君レアジョブをお勧めしてくれたので無料体験を予約してみた。
posted by アントレ at 08:58| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。