2009年06月14日

tabi0184 佐藤雅彦・菅俊一・石川将也「差分」

aとbの差を取ることで、「ある表象」が生まれる。

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この2枚の絵の差分を取ることで、「もりあがる」という感覚が、我々の内に生まれる。P3-5
佐藤雅彦・菅俊一・石川将也「差分」(美術出版社 2008)


本書は李英俊さんに勧めてもらいました。ありがとうございます。

「差」を取ることで何かが生まれる。
差分とは、隣り合ったものの差を取った時の「脳の答え」である。


このように始まりが告げられる本書は、絵本といっていいのか、差本とでも称せばいいのだろうか。中々、紹介に困る本である。なぜなら、この本が「示されていないことを示すこと」によって成り立っているという奇妙な構図をもっているからです。

人は様々な感覚において差を取りながら生きている。動きが見えるのも、音楽が聴けるのも、物語を感じるのも、味を感じることも、悲しむことも、すべて差をとった結果である。といえるかもしれない。

差分を別の言葉と関連させると、仮現運動になるだろう。映画やパラパラ漫画のように、一つひとつは静止している画像を連続して見ると、それがあたかも動いているように見える。このように実際には動いていないものが、仮に動いているように見える現象を「仮現運動」という。

点から線が立ち上がること

認知科学的に読むならば、この本によって認知の不完全さを露呈した例を数多く採取できるであろう。いや<完全>さを感じるということだろうか。

差分の前に立たされた者は、認知対象を「捨象」し身勝手に「補完」する。それをバイアスと呼ぶか、プライミングと呼ぶかは、あなた次第である。

正直なところ、私にはそこに関心はない。私が関心をもったのは「点」という形が「線」という意味になったことである。点と線をつなぐもの、それはAとBを足し合わせた「+」ではなく、AからBを引き算する「−」にあることである。

■参考リンク
『 差分 』 刊行



■tabi後記
昨日は入不二基義さんの「哲学文献講読演習」(テキストは「転校生とブラックジャック」)に参加させて頂いた。私を含めて学生が6人だけだったので、有意義に過ごす事が出来た。
posted by アントレ at 06:32| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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