2009年07月08日

tabi0219 ゲーテ/柴田翔 訳「ファウスト 上」

全ての果てにある全て!
天主
よいだろう。お前にまかそう!
彼の精神をその根源から引き離し
もしお前の手におえるものなら
それを好きなように引きずり下ろしもするがよい
そして最後には恥じ入って白状するのだ
心ばえ秀でた人間は 暗くおぼろなる衝動のうちにあっても
自分の踏むべき道を忘れることは決してないものだと。P30
ゲーテ/柴田翔 訳「ファウスト 上」(講談社 2003)


小説/戯曲を読むということは主張をもとぬことであろうと思う。バフチンポリフォニー理論にもとづいて考えると、「ファウスト」という作品に登場するファウスト・メフィスト・天主・マルガレーテ(グレートヒェン)・学生などの言葉を拾い上げることは控えることになる。

ある人間の発言から何かを論じるのではなく、関係性(場)に起ち現れていること「全て」がファウストという作品なのである。この視点から論じると、ファウストはメタポリフォニーな作品だといえそうだ。なぜならファウストが望むものは『全て』であるからだ。そして、メフィストも<全て>、天主も【全て】を希求している。ゲーテは全ての連なりによって「全て性」を論じているように思えるのだ。

■参考リンク
第九百七十夜【0970】
475旅 ゲーテ『ファウスト 第一部』
Wikipedia:ファウスト 第一部
精神的陽光
グノー 「ファウスト」 


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■tabi後記
古典を読むと、眠りし魔物を呼び起こすことになる。非常に危険な営みだ。スポーツやグラディエーターの世界を体感するようだ。
posted by アントレ at 19:30| Comment(0) | tabi☆☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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