2009年08月10日

tabi0232 竹田青嗣「中学生からの哲学「超」入門」

世界像の崩壊が人を聡明になる
だいたい高校までは、ふつうの人は誰でも、自分の家族、学校、友人などから自然に受け取ったはじめの「世界像」を育て、これをまわりの人間と共有している。これが一枚目の世界像です。ところが、大学などに入ると(もちろん大学だけとはかぎらない)、言葉の力がたまってきて、本とか耳学問で、突然新しい世界像が開かれることがある。世界と人間についてのまったく新しい観念、考え方です(宗教の形をとるこもある)。

これが二枚目の世界像で、これが入ってくると、なかなか強い力を発揮する。というのは、二枚目の世界像は、これまで自分が持っていた考えはみな間違ったもので、ここにこそ「ほんとうの世界」の姿がある、といった一種の世界発見の魅力をもって現れるからです。ちょうど、恋をすると、相手の美質について結晶作用が起こるのと同じく、世界についてのロマン的な結晶作用が起こるのです。P46
竹田青嗣「中学生からの哲学「超」入門」(筑摩書房 2009)

竹田現象学をシンプルにまとめ上げた1冊となっている。

竹田氏は、この引用文に続けて、「二枚目の世界像がさらに相対化されて三枚目の世界像を得たとき、われわれは、世界経験というものの全体像をはじめてつかむのだけれど、そのためには、この二枚目の世界像がなんからの仕方で挫折する必要があるのです。」と語る。

ヘーゲルは、二枚目の世界像に欺瞞に気がつきながらも、それに拘泥することを「不幸の意識」と呼んでいたが、私は、この世界像崩壊にともなう自己修復能力こそが、人を聡明にすると考えている。

客観主義にも懐疑主義にも寄り添わない現象学を目指して
世界の意味の秩序は中心点なる目標を失うと、いったん壊れてばらばらになる。ちょうどクモの巣の真ん中を破ると、全体がばらけてしまうように。しかししばらく存在の重さに堪えていると、世界は不思議な自己回復力で、もういちど意味の秩序を少しずつ張り巡らそうとする。クモが破れた巣を編み直すのと似ている。つまり深刻な挫折を体験すると、人は、世界がいったん壊れ、また自分を編み直してくる、という過程を必ずたどることになります。でも挫折がそれほど深くないと、人はそれに気づかない。挫折が深く、とことんまでいかない場合、根本的な世界の再構成ではなく、いわばつぎはぎ的な修復が起こるのです。P55

竹田氏は、自我の崩壊を夢判断で修復しようとしたが、ついには真の意味を獲得出来なかった。しかし、そこで獲得したのは「自己確信」という所作であった。

「自分の感情の海の中に、絶対的にそうだと思えることと、この先はもう何とも確信をもてないことと、そしてその中間地帯との、三つの領域の境界線がはっきりある、ということが分かること。」という態度を手に入れた。それが現象学研究のはじまりであった。

「世の中には、はっきりとした答えを見いだせる問いと、問うても決着の出ない問いがあるいうこと、このことが「原理」として腑に落ちていることは、どれだけ人を聡明にするかわかりません」と竹田氏は語る。

神は存在するのか、人間と世界の存在の意味はなにか。これらの問いに決定的な答えは誰も出せないという、形而上学の不可能性の原理は理屈では理解できる人も多いでしょう。しかし、このことがいったん深く腹の中におちれば、人間は本当に聡明になります。

この原理(カントによる原理)がわからないと、「人は、いつまでも一方で極端な「真理」を信奉したり、一方で、世の中の真実は誰にもわからないといった懐疑論を振り回すのです」と氏は語る。

■参考リンク
[書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣)
社会システムとルール社会を越えていくもの
哲学は哲学者より簡単 - 書評 - 中学生からの哲学「超」入門



■tabi後記
妥当性の強度を欲望相関性で区分したモデルのver0.1が出来上がる。世界像崩壊パターンを区分することで、その人の世界像=疑団=業を知りたいという思いがあるからだろう。
posted by アントレ at 17:59| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。