2009年08月11日

tabi0237 津島秀彦/松岡正剛 「二十一世紀精神―聖自然への道」

たまに地球のことを想い出してみるのもいい
▲-なぜ、自然的な一日があるか。もちろん、そこには地球が廻っているということがある。われわれは地球の回転とともにある。
★-したがって、われわれは何もしていなくても、畳の上に寝ころんでいても、地球とともに、全宇宙の事態とかかわっているということです。
▲-すべては関係しあっているのです。それが存在の内容でしょう。
★-われわれの内部でも同じ事態がおこっています。血液はぐるぐる廻り、分子は廻り、原子も廻っている。その最小単位である素粒子もスピン(旋転)しています。
▲-われわれは、さまざまな「回転速度」の中にある、と言っていいでしょう。
★-ミクロコスモスとマクロコスモスは、同じ夢をみているのです。そうであるならば、われわれもまた、その夢の世界を知らなければならないし、その夢とともにあることを知らなければならない。P20
注:▲津島秀彦★松岡正剛
津島秀彦/松岡正剛 「二十一世紀精神―聖自然への道」(工作舍 1975)


1日を考えることは、地球を通して全宇宙を考えることである。こう初めから迫ってくるのだから、面白くないはずがない。両氏は、1日を考えるとは「起きること」と「眠ること」であると納得していく。

両氏は、重力観念との闘いこそが人の歴史であるとする。それは、大地にへばりつくのをやめて立ってしまったということ、一切はここから始まるからだ。立ち上がったから手が自由になり、粘土版に文字を彫ることも道具をつくることもできた。

私たちにとっては、何のそのと思われる「起き上がる」という動作は、重力への抵抗する驚異的な習慣であるのだ。次に来るのが「おやすみなさい」という地球への挨拶である。

私たちは、重力からの自由のために「眠る」のである。そして「座る」(禅)という方法まで編み出した。夢をみること、禅的体験にいたること。この体験的時の最中において、重力との闘いは終止符を打とうとされる。

■参考リンク
イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽



■tabi後記
80年代のニューアカデミズムには想像力が及ぶが、70年代の工作舍は異常な雰囲気を朧げに感じられる程度。この10-20年の知的変遷が綴られた資料はあるのだろうか。
posted by アントレ at 22:55| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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