2009年08月20日

tabi0248 タモリ/松岡正剛「愛の傾向と対策」

思想の猫背をやっつけたい
セイゴオ―今日、どうしても知りたいのは、なぜ、コトバに挑戦したかという一点に尽きるんだな。

タモリ―かんたんに言えば、理由はコトバに苦しめられたということでしょう。それと、コトバがあるから、よくものが見えないということがある。文化というのはコトバでしょ。文字というよりコトバです。ものを知るには、コトバでしかないということを何とか打破せんといかんと使命感に燃えましてね。

セイゴオ―苦しめられた経験とは?

タモリ―ものを知ろうとして、コトバを使うと、一向に知りえなくて、ますます遠くなったりする。それでおかしな方向へ行っちゃう。おかしいと思いながらも行くと、そこにシュールレアリスムなんかがあって、落ち込んだりする。何かものを見て、コトバにしたときは、もう知りたいものから離れている。

セイゴオ―そうね、最初にシンボル化が起こっていて、言語にするときは行きすぎか、わきに寄りすぎてしまってピシャッといかない。ぐるぐる廻る感じです。ヴィトゲンシュタインがそれを「コトバにはぼけたふちがある」と言った。

タモリ―純粋な意識というのがあるかどうかは知らないけど、まったく余計なものをはらって、じっと坐っているような状態があるとして、フッと窓の外を見ると木の葉が揺れる。風が吹くから揺れるんだけど、それがえらく不思議でもあり、こわくもあり、ありがたいってなことも言えるような瞬間がありますね。それを「不思議」と言ったときには、もう離れてしまっている感じがするんですよ。ほんとうは、まったく余計なもののない、コトバのない意識になりたいというのがボクにある。ところがどうしても意識のあるコトバがどんどん入ってきてしまう。それに腹が立った時期があるんスね、そのあと、コトバをどうするかというと崩すしかない。笑いものにして遊ぶということでこうなってきた。

セイゴオ―なるほどねェ。遊ばせていくしかない。P20-21
タモリ/松岡正剛「愛の傾向と対策」(工作舍 1980年)


本書は、ネクラがネアカへ挑戦し続ける軌跡である。タモリは、意味レスとプロレスしてきたのだ。フロイトもニーチェもブルトンも、何もかも暗い。このような「思想の猫背」を退治するために、タもリは意味レスを追求していく。

時が経つにつれて、その営みは「芸」と呼ばれるに至ったが、タモリは、芸自体が意味的に捉えられぬようにしている。そして、そのように予防すること行為からも解放することを目論んでいるように思えた。複雑な構図(実はシンプルすぎる)の中で楽しんでいく人間を垣間みることが出来た。

タモリの多国語 アフリカ編


■参考リンク
愛の傾向と対策って
イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽
寿司とタモリ



■tabi後記
1つ迷言を発見した。言葉は口から出る糞である。手に唾をつけて擦ると臭いのはその証拠である。(松岡正剛)
posted by アントレ at 08:13| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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