2009年08月20日

tabi0249 佐治晴夫/松岡正剛 「二十世紀の忘れもの トワイライトの誘惑」

一メートルで一挙に宇宙を
佐治:たとえばご飯を食べると、口の中にいれて噛むのは自分なんだけど、喉を通ったら私はコントロールできないわけです。誰もが喉を通してご飯を食べ、おいしかったといって生きている。でも、自分ひとりで生きているわけではないということは、もう当たり前のことなのに、「生きるぞ、生きるぞ」と歯を食いしばっている姿は間違っていると思うんですね。

松岡:そうですね(笑)。もうひとつはね、やっぱりこれは現代病だなという気はしてるんですけど、「全体」について何か研究すればすむという病気がはやってるように思うんです。

佐治:安心するんでしょう、「全体」を見ることでね。

松岡:ええ。日本のいまの病気も「グローバリゼーション」とか「国際化」とかいう言葉を使いますが、これはちょっとダメだと思いますね。そうじゃなくて、ちょっと個別でフラクタルで、フラグメントなものひとつで、十分に「全体」と拮抗するものを見出さなければいけない。それが宇宙論であり、生命論だと思うんですね。

佐治:おっしゃるとおりです。だからそこで考えると、どちらかというと東洋的な考え方の中に、そのひとつのヒントがあるということになりますね。

松岡:そうですね。「路傍の石でも語れる」というところ。P312
佐治晴夫/松岡正剛 「二十世紀の忘れもの トワイライトの誘惑」(雲母書房 1999)


目、鼻、耳、口、首、腕、足・・・といった単位で私は形作られない。私は、自分の顔さえ見ることは出来ない。常に「あなたに対してのあなた」であり続ける。

佐治氏と松岡氏には、そのような剛質なフィジカルイメージを破棄したがる。そして、よりナイーブなフィジカルイメージを追求していく。それが面影であり、片割れであり、ウツロウものであろう。このような追求の根底には、「困惑に対する喜び」があるのだろう。

それは「あなたは一個の生命ですか?」という問いを楽しむことと同義である。木を切ることは、人の肺を切ること。自己という一つの束に過ぎないことを「感じてるか」だろう。生命はひとつではない。

あなたの体内に大腸菌が何億いるのだろうか?サナダムシだっているかもしれない。そして、いろんな微生物が生きている。ひとつひとつの細胞だって生きている。それでも尚、自分に拘らせるものは何か?あなたをそうさせるものは一体何にか。そこから探究ははじまる。

■参考リンク
二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑/佐治晴夫、松岡正剛
アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?



■tabi後記
半径一メートルで一挙に宇宙を語ること。確かに容易なことだ。
posted by アントレ at 18:42| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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