2009年08月24日

tabi0255 松岡正剛「遊学の話―すでに書きこみがある」

未分化の復権を願いて
一本のカラスムギの根毛の総長は地球を一まわりするという。おそらく朝顔とて同じだろう。そのような朝顔というたったひとつ現象から、われわれは何を語りうるかといえば、きっと何もかもを語りうるにちがいない。植物学はむろんのこと、生物や生命について、土や地質学について、さまざまな化学反応について、ゲーテが全力を傾注した原植物と形態学について、そこから文学史や形態学の発展史に広まることなどについて、また、花の文化史や色の文化史について、朝顔を詠んだ多くの俳人について・・いくらだって、ある。僕が「遊学」と呼んでいるところのものは、このように一本の朝顔でさえ全宇宙を必要としているということだ。これを別の言い方にすれば、宇宙を語るのに天体望遠鏡がいらないこともあれば、朝顔を語るのにも天体望遠鏡が必要だということでもある。P271
松岡正剛「遊学の話―すでに書きこみがある」(工作舎 1981)

私たちは、太陽を肉眼で見て、ゆっくり動いているとおもっているが、太陽は実はものすごい速さで動いている。地球ですら毎秒30kmの猛スピードですっ飛ぶ球塊である。見えているものを見ないこと、そして見えていないこと見えていることの繋がりに敏感でいたい。地球が自転・公転していることが、私のサーカディリズム、心臓・呼吸のリズムへの影響に多感であるかもしれない。

話しは飛んでしまうが、日本人の宗教意識について触れてみたい。一般的に日本人は、「あなた宗教は何ですか?」と問われて、神道か仏教か儒教かと答えることは出来ない。この事態は、宗教的混乱なのだろうか?私はそう思えない。むしろ、どこかで「何かが合成されてしまっているのではと思うのであろう。

私は、その何かを探究し、深化していくことに「東洋的見方」のアプローチがあると考えていたが、松岡氏はこのアプローチの深化には難しさをみている。まず、岡倉天心や鈴木大拙のように「東洋のイデア」という統一性をもつには、政治形態の違いに留意する必要がある。そして、この方法は挫折していくと、カリフォルニアが騒ぎ立てた「東洋への道」に堕ちていった事へ繋がっていくからだと語る。



■tabi後記
更に気になることは、日々、ハトやカラスを多量に見ているのに、彼らが大量に死んでいるのを見たことがないことだ。これは一体なぜだろうか?と考える。

一体、彼らはどこで死んでいるのか!
posted by アントレ at 10:20| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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