2009年08月30日

tabi0274 入山映「市民社会論」

ボランタリーの失敗という思考軸
ここで錯綜しているかに見える議論の整理を試みると、とりあえず論点は先の公益法人制度の問題点に対応して、四つに分かれていることがわかる。
その一は法人成立にあたっての許可主義と、それと表裏一体の関係にあった指導監督体制の問題。
その二は、法人法定主義を採るわが国の法体系のなかで、これまでの「公益法人」に代わるものが必要か否か。必要ならばどのような法人類型を構築するかという問題。
その三は、どのような活動を営む法人に対して、どのような税制上の優遇措置を講じるのか。その理由は何かという問題。
そして最後に、既存の公益法人のなかで、いかがと思われる存在はどのようなもので、それをどのように淘汰するかという問題。さらには将来にわたりそのような存在の発生を阻止することは可能か、という問題である。P140
入山映「市民社会論」(明石書店 2004)


市場の失敗と政府の失敗を補う希望の星としてのNPOという見方は「社会起業」という言葉の登場によって、徐々に盛んになっている。 「市民セクターの可能性」と題した議論はこれまでも連綿と続いてきた。レスター・サラモンの「ボランタリーの失敗」という理論は、その中でも急進的なものといえるだろう。

本書では、官民、公私といった「当たり前」に使用される思考軸に対して、懐疑の目をもちながら、この次の可能性を探っていく。副題が「NPO・NGOを超えて」となっているのにも納得がいく。

私が興味を持った点は、正統性(legitimacy)の問題と答責性(accountability)の問題である。そして、市民組織と民主主義は3重の意味で関係がないという議論である。

正統性の問題とは、市民社会モデルには、かつて選挙によって選ばれた人々が行っていた決定を、選挙によらない主体が行うようになるという「民主主義的欠陥」を指摘されることである。

答責性の問題は、影響力を行使するNPO/NGOが引き起こした結果に対して「政治的責任を追及する実効的手段」がないという問題である。この2つは、表裏の関係といっていいだろう。

そして、市民組織は民主主義とは1重の意味で関係がない議論について。

まず第一に、組織そのものの目的はいかようにでも反民主主義的でありうるということ。アルカイダもKKKも、はたまたオウム真理教も市民社会組織である。 第二は、組織運営が民主的になされる保証がないということ。成員がそれに同意し、望むならばどのような独裁的・非民主的な運営も可能であるからだ。そして第三は、多くの市民社会組織が部分利益を代弁するという性格をもち、ごく一部の社会階層の利益を極大化し、それを固定する機能を十分に果たしうること。この3つを射程入れながら、市民組織と民主主義については考える必要があるだろう。

■参考リンク
社会変革ベンチャーキャピタリスト ータイズ財団



■tabi後記
戦後初、2大政党における政権交代がなされた。民主主義を採用する国としては、今までが異常な事態だったのだろうか。事態の行く末を見守ると同時に、国家というレガシーシステムを移管するためのプログラミングをしておこう。
posted by アントレ at 23:40| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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