2009年09月17日

tabi0292 マンフレッド・クリューガー「瞑想 芸術としての認識」

美は思考内容・思考活動にも宿っていく
ルドルフ・シュタイナーの意味においての瞑想は、3段階に分かれています。意志を強くする沈思は、思考的な感情を取り入れた構成が前提条件になっています。つまり、意志自体には直接語りかけません。そうではなくて意識を通して語りかけるのです。意志は自我(Ich)に導かれています。それと全く同じように感情も自我(Ich)に導かれているのです。(中略)思考、感情、しそして意志はこのようなやり方で高次の認識器官へと高く変容しました。ルドルフ・シュタイナーはそれをイマジネーション、インスピレーション、イントゥイション(直観)と表現し、さまざまなやり方でそれについて詳しく明らかにしています。P16-17
マンフレッド・クリューガー「瞑想 芸術としての認識」(水声社 2007)


本書における瞑想は、只管打坐・止観駄坐することではなく、沈思、沈潜することと捉えられている。

芸術としての認識という副題にみられるように、アイデアのつくり方内面の道をミックスするような内容となっている。ミックスする際の素材になっているのがシュタイナー思想である。

彼は、思考は動きと内容によって構成されていること、それを統合するのが直観であると語る。直観は動きと内容の両輪が熟したときに花開くのだろう。そして本書では、この思考の並列的特性を練習する方法(複式練習法)が紹介されている。「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」の副読本として位置づけられる。

イマジネーションは、思考の活動ではなく思考の内容に注目し、インスピレーションは
思考の内容ではなく動きに注目する。思考の動きというのは、像と像の空間の中で生じる
ものである。その後に本質が本質の中で本質自身をとらえる、イントゥイションという事象が立ち現れるのであろう。

■参考リンク
風のブックメモ
第三十三夜【0033】



■tabi後記
誕生日ということもあって、1986年9月17日の新聞を一通り眺めてみた。当時の書籍ランキングには堺屋太一「知価革命」、大前研一「世界が見える日本が見える」であった。唯一見ているテレビ番組の放送大学では、私が生誕した15:45から「日本語の語源」が放送されていた。この作業に因果めいたものをみてもいいだろうし、1つの遊びとして行なってみるのもいいだろう。
posted by アントレ at 13:05| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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