2009年09月21日

tabi0296 重松清/茂木健一郎「涙の理由」

視覚を奪う涙。その危険をさらすことによって、私は何を得ようとしているのか?
茂木:今日、重松さんとお話しして、インターネットに象徴される日本、現代の流通や情報化、そういうものに対する対抗軸が涙であるという、大切な発見をしました。しかも、その涙は、安易な借り物ではなくて、自分の人生の一回だけの、生の奇跡の中で、命のパズルがカチッとはまった瞬間に流れる自分だけのかけがえのない涙です。
(中略)
重松:涙は、平穏なもの、平板なものに、突発的に生まれる、風穴みたいなものです。その風穴にも、さまざまな風穴がある、俺は、この対談で辿り着いた、「自分だけの涙」というものに、ものすごく惹かれました。小説は、宿命的に、一人でも多くの人に届けるためのものだから、最大公約数的な涙を作ったほうが、もしかしたら流通しやすいかもしれない。けれど、少なくとも物語の中の登場人物に流させる涙は、その登場人物にとっての「自分だけの涙」を流させなければいけないし、「自分だけの涙」は、読者自身の自分だけの涙にも届くんじゃないかなと、改めて信じる。信じたくなった。P248
重松清/茂木健一郎「涙の理由」(宝島社 2009)


物理学者のリチャード・ファインマンは、妻のアイリーンを亡くした時に涙が出なかったという。しかし、それからしばらくして、街中を歩いていて店のショウウィンドウの中にきれいな服が飾られているのを見て、「ああ、アイリーンだったらこんな服を着たがるだろうな」と思った瞬間に、もうこの世にはアイリーンがいないのだと気づいて、号泣したと、自伝『ご冗談でしょうファインマンさん』にある。

すぐれた映画や小説もまた、私たちを泣かせるが、自分自身の人生のさまざまな要素がそろって凝縮した時に流れる涙は、天からの贈り物であって、一つの奇跡である。それは、一生に一回訪れるかどうかもわからない不意打ち。このように語る茂木氏はこの対談の過程において、ずっと「インターネット」への対抗軸を探していたようです。

もちろんインターネットはすばらしいものであり、これからもヘビーユーザーであり続けると思う一方で、それだけでは危うい、なにかが失われると感じていた。そして、その対抗軸が、単に「身体に還れ」とか、「自然に親しめ」ではいけない、とも思っていたと語っています。

茂木氏は、カウンターポイントはそんなに簡単には見つからないと思っていたが、重松氏と向き合っている中である感触を得た。それが、さまざまなものがはまることによって初めて流される、「私の人生だけの涙」というものだったのだ。



■tabi後記
TOKYO FIBER '09 SENSEWARE展に参加してきました。
posted by アントレ at 17:58| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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