2009年10月05日

tabi0305 藤巻 正己/瀬川真平「現代東南アジア入門」

植民地空間から国民国家へ、そして民族空間へ
日本においては、東南アジアの華人に対して、依然として「華僑」・「中国人」という見方がされがちである。しかし今日、東南アジアの華人の中で、東南アジアを仮住まいの地と考え、また中国のことを「祖国」「我国」という言い方をする者はほとんどいない。また、今でも中国本土の祖先の出身地と送金や手紙のやり取りなどで定期的なつながりを維持している華人はきわめて少ない。P52
藤巻 正己/瀬川真平「現代東南アジア入門」(古今書院 2009)


1943年以降から「東南アジア」という言葉が使われはじめたが、初めて文字として登場したのは1839年のハワード_マルコムの旅行記であった。当然の事ながら日本からみた「東南アジア」は「東南」ではないので、戦前は南方、南洋というように曖昧に呼んでいた。本書で際立つのは、ASEAN諸国における華人の構成比が無視出来ないほど存在することへの示唆である。

・シンガポール(華人77%,マレー人14%,インド系8%)
・マレーシア(マレー人53%,その他土着民族12%,華人27%,インド系8%)
・ブルネイ(マレー人67%,華人18%,イバン人・ドゥスン人など先住民族5%)
・タイ(タイ人系75%,華人14%,マレー人,クメール人,山岳少数民族)

以上の4カ国においては、多民族国家という点だけではなく「東南アジア空間」においては投資,貿易,労働などによって華人を筆頭に常時、人間/民族が移動をしている。

また、イスラム,仏教,キリスト教を初めとする宗教の渾然一体となっており、物理空間、精神空間、時間意識が住み分けられ、混ぜ合わせれている。ASEAN10の面積・人口・宗教・言語・政治体勢が記載された画像を添付する。
ピクチャ 1.pngピクチャ 2.png

このような世界の中で、どのような思考、生活が発生しているのだろうか。分けても分からない社会の中で、自律的に生活が営まれている「背後」にあるもの、もしくは「内部」にある仕立てを探ってみたいと思う。

■参考リンク
新世界読書放浪
ASEAN日本統計集



■tabi後記
最初から、東南アジアという言葉、行き先を国名で呼ぶこと自体に違和感がある。国ではなく文明でとられるというあり方もあるが、僕としては「同じ」を探っていきたい。それは深層的なことかもしれないし、言語的なことかもしれない。差をつかまえて、分けいることは一線を越えると大いなる価値があるが、それを認めたうえでも、分類とは距離をおいていきたいと思う。
posted by アントレ at 17:13| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。