2009年10月07日

tabi0309 湯浅誠「どんとこい、貧困!」

日本に生まれたという「溜め」を生かすには
”溜め”とは、「がんばるための条件」で、人を包み込むバリアーのようなもの。 お金があるのは、金銭の”溜め”があるということ。 頼れる人が周りにたくさんいるのは、人間関係の”溜め”があるということ。 そして、「やればできるさ」「自分はがんばれる」と思えるのは、精神的な”溜め”があるということだ。

誰もが同じ"溜め"をもっているわけじゃない。"溜め"の大きさは、人によってちがう。

たとえば、お金持ちの家に生まれて、両親がいい人でやさしく、頼りがいがあって、自分も自信満々、いつだって「自分はできるさ」と思えるような人は、お金、人間関係、精神的な”溜め”が全部そろっているから、大きな”溜めに包まれている。

逆に、お金のない家に生まれて、両親も仲が悪く、自分のことなんてかまってくれない。自分も、いつもどうしても「どうせおれ(私)なんて…」と思ってしまう人は、包んでくれる”溜め”が小さい。P45〜46
湯浅誠「どんとこい、貧困!」(理論社 2009)


「反貧困」を掲げる彼らの活動は、ぼろぼろになってしまったセーフティネットを修繕して、すべり台の途中に歯止めを打ち立てること、貧困に陥りそうな人々を排除するのではなく包摂し、”溜め”を増やすことであるという。

本書を読む限りでは「自己責任論」を否定して、最低賃金や生活保護などの「ナショナルミニマム」を引き上げるよう政府に求める、伝統的な「ものとり論争」を感じてしまう。もちろん、そういった側面だけが彼らの全てではない。無謬性の想定はなく、建設的な姿勢もみられる。

しかし、それを差引いても「溜め」を分配することに視点が行き過ぎるあまりに「溜め」の視点が狭くなっている。

こういう事後の裁量的再分配が横行する社会においては、誰も財を築こうとしないだろう。これは深刻な私有財産権の侵害だ。もし日本が「経済的に成功すれば公権力がやってきて収奪する」ような不公正な社会だと認知されれば、そのような「後出しジャンケン」を嫌う資本が海外流出し、より深刻な不況を生むだろう。

あなたが起業家だったら、日本で起業するか? あなたが投資家だったら、日本に投資するか?
非正規雇用問題:「ババ抜き」ゲームをやめればいい


上記の記事を読んで、自らが想定しているものをフラットにしてみよう。その上で「溜め」について考える。本書でいう「溜め」というのは、アマルティア・センのいう「Capability」のことであろう。「Social Capital」や「ハビトゥス」などを連想する方もいるかと思う。

確かに、生まれながらによって獲得している「溜め」があるのは事実である。これを反論することは出来そうにない。

だが、溜めを分配せよ!というのは視点として狭いのではないだろうか。私が一読する中で考えていたのは、溜めがない中に「溜め」をみることだった。

例えば、本書で取り上げられる「貧困層」の中で読み書き計算が出来ない人は少ないだろう。これは「溜め」ではないだろうか?世界には読み書き計算が出来ずにいる人は五万とおり、それらを教育する者も不足している。

生活保護が数万円もらえることは世界的にみれば「溜め」である。手当による年収100万円というのは、日本国という最低限の生活をするコストが高い場所にいると貧困になってしまう。しかし場所を移せばどうだろうか?

以上のことは、弱者を甘やかすのではなく、弱者を成長させる仕組みをつくるには(例えばグラミン銀行のように)どうすればいいかという思念の過程である。

今の私が思い浮かぶアイデアは、ホームレス、ワーキングプアといわれる貧困層を、「海外で活躍する人材」として途上国へ送り込むことだった。カンボジアやバングラディッシュにおいては、彼らの教育水準や所得水準は十分に「溜め」がある状態である。

初期投資として30万円を渡航費と現地語の修得のための貸出しを行い、途上国で教師などの仕事について頂く。現地で稼ぐ収入(教師/通訳/その他)から利率を乗せて返還してもらうという仕組みである。

この人材育成/派遣は、もし実現出来るとしたら外交的にも優れた政策ではないか。一人でこのような想像をしていた。ワーキングプアではなく、教育者として途上国に派遣する事業を行なう。住む場所がなく、家族等の身寄りがいないというのは、ある視点でみれば「失うもの/背負うもの」がないということであり、最上にフリーな方々なのではないだろうか?

繰り返して言う。【あなた】がやるべきことは「差別反対」と叫ぶことではない。被差別者を自ら雇い、ボロ儲けすることだ。

雇用差別などという問題は存在しない。そこにアービトラージの機会があるだけである。【あなた】がすべきは、「差別」の告発ではなく、「被差別者」(とあなたが考える人たち)を雇って、自らボロ儲けすることである。それが社会の変革になる。
雇用差別という問題は存在しない


私には高等教育まで無償化したところで、中国をはじめとした労働者にコストで勝てるとは到底思えない。また、世界水準で創造的な仕事をする人材に「全員」がなるとも到底思えない。

であるならば、自らの「溜め」よりも下にいる層に対して、貢献するモデル。自己重要感を獲得できるように「雇用」をするのがよいのではと考える。

■参考リンク
池田信夫 Blog 反貧困―「すべり台社会」からの脱出
雇用保険制度は失業率を底上げしている



■tabi後記
ざっくりしたアイデアなので、建設的にデータや実現可能性を模索してみたいと思う。
posted by アントレ at 12:28| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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