2009年11月16日

tabi0314 岩田慶治「道元との対話」

自分の中の秘密を点検していくこと
自分自身にとっては、人類学のフィールドワークと『正法眼蔵』の探究とは、やはり、別のことではなかった。私にとっては、異民族と異文化のなかで経験をつみ、それらについてしらべることが、もう一冊の『正法眼蔵』を読むことであった。フィールドワークがそのままで私の座禅であった。(中略)私はフィールドワークにしたがいながら、異国の山河大地、草木虫魚が、そして人間生活の諸相が語りかけてくる問題を、自分で納得のいくように解こうとしただけである。P7
岩田慶治「道元との対話」(講談社 2000)


23日間の東南アジア生活の最初3日間をこの本で過ごしていました。

手足などの「かたち」にこだわらずに、闇となっていく自分を座禅と人類学の視点から内省した本となっている。

つい最近まで、調査地でのベットの具合など考えたこともなかった。しかし、心身のやすらぎ、やすらぎのなかでの発想ということの問題性に気づいた途端に、さまざまな民族のなかでの経験が、一挙によみがえってきたのである。昼の、右往左往している自分ではなくて、夜の、しずけさのなかの自分。あれも知りたい、これも知りたいと知の探究にまぎれこんでいる自分ではなくて、自分自身の内部に自己解体をとげて自分というものの輪郭を失おうとしている自分、その自分の方がほんとうの自分に近いのではなかろうか。そこからの発想の方が、机を前にして、ねじり鉢巻で、無理矢理に考えだされた理屈よりも真実に近いのではなかろうか。そう気づいたのである。P24
岩田慶治「道元との対話」(講談社 2000)


このような発狂と興奮の最中に知が萌芽してくるのだなあと我事ながらに読み込むことが出来た。Blogにしたためるほどに言葉が浮かんでこないでいる。

私が本書から得られた視点は、私の秘密を点検していく作業には幾多の道筋があること。その道筋に真実になること。そして「而今の山水は、古仏の道現成なり」という言葉において生活するということ。この3点であると思う。

■参考リンク
ぼくらは少年演出家



■tabi後記
地理的に移動することが「他人の関心(一番インパクトあったことは?,カルチャーショックは?といった質問群!)」を集めるのはなぜなのか?そして、日常から、そのような関心を集めていないのは何故なのかということだろう。
posted by アントレ at 15:00| Comment(0) | tabi☆☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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