2009年11月17日

tabi0315 中村元「龍樹」

相依性という企画
縁起は常に理由であり、空は常に帰結である。無自性は縁起には対しては帰結であるが、空に対しては理由である。すなわち縁起という概念から無自性が必然的に導き出され、さらに無自性という概念からまた空が必然的に導き出される。「縁起→無自性→空」という論理的基礎づけの順序は定まっていて、これを逆にすることはできない。P242
中村元「龍樹」(講談社 2002)


著者は、従来西洋の諸学者はこの「中論」第二章をみて、ナーガールジュナは運動を否定したと評し、ギリシアのエレア派のゼノンの論証と比較をしていたことを紹介する。そして、両者の論理を詳細に比較するならば、類似を認めることは困難であると語る。その根拠として、ナーガールジュナは自然的存在の領域における運動を否定したのではなく、法有の立場を攻撃したことをあげている。

龍樹(龍猛菩薩)は、法有(説一切有部)ではなく法空を説き、無常の中に潜む恒常(形而的有)をも攻撃の対象に当てていった。

我々は「〜がある(ない)」という形式の規定と、「〜である(ない)」という存在の規定を、言語志向性としてもちあわせている。形式/存在、肯定/否定を連立させていくと、「がある(ない)」こと「がある(ない)」、「である(ない)」こと「がある(ない)」、「がある(ない)」こと「である(ない)」、「である(ない)」こと「である(ない)」という16種類の規定がある。私は、このマトリクスをどのように扱っていくかが、1つの言語技術であると思ったのである。

■参考リンク
第千二十一夜【1021】
414旅 中村元『龍樹』



■tabi後記
旅人として問われることを常とする生活を実践することが1つ大事なことであり、その実践は承認にもとづくものではなく自らの秘密を探究/点検していく行為過程であることが大切なのであろう。
posted by アントレ at 12:43| Comment(0) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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