2009年11月17日

tabi0317 阿部公房「他人の顔」

仮装と仮想
人間の魂は、皮膚にある・・・文字どおり、そう確信しています。戦争中、軍医として従軍したときに得た、切実な体験なんですよ。戦場では、手足をもぎとられたり、顔をめちゃめちゃに砕かれたりするのは、日常茶飯事でした。ところが、傷ついた兵隊たちにとって、何がいちばん関心事だったと思います?命のことでもない、機能の恢復のことでもない、何よりもまず外見が元通りになるかどうかということだったのです。P29-30
阿部公房「他人の顔」(新潮社 1968)


45年前に突きつけられたテーマは今もカタチを変えて伏在している。心理的/社会的アイデンティティーとなるものは、脆いものか、操作性があるのか、適応されるのか、いかにして飼いならすのか。これはZEN/SEX/LSD/BMIと連環してくれるテーマであろう。

むろん能面に、ある種の洗練された美があることくらい、ぼくにだって理解できないわけではなかった。美とは、おそらく、破壊されることを拒んでいる、その抵抗感の強さのことなのだろう。再現することの困難さが、美の尺度なのである。P82
阿部公房「他人の顔」(新潮社 1968)


1つの方途として「美」へ着目しているのだが、よくある「美の礼賛」とは違った視点を与えているように思われた。その差異は、礼拝性から破壊性へのずらしであり、浸透性から弾力性へのずらしもであると思う。

でも、もう仮面は戻ってきてくれません。あなたも、はじめは、仮面で自分を取り戻そうとしていたようですけど、でも、いつの間にやら、自分から逃げ出すための隠れ蓑としか考えなくなってしまいました。それでは、仮面ではなくて、べつな素顔と同じことではありませんか。とうとう尻尾を出してしまいましたね。仮面のことではありません、あなたのことです。仮面は、仮面であることを、相手に分らせてこそ、かぶった意味も出てくるのではないでしょうか。あなたが目の敵にしている、女の化粧だって、けっして化粧であることを隠そうなどとはいたしません。けっきょく、仮面が悪かったのではなく、あなたが仮面の扱い方を知らなさすぎただけだったのです。P267
阿部公房「他人の顔」(新潮社 1968)


表皮における「仮」性と「真」性の対比から、裏皮における仮と真へ移動していることは着目したいが、私の中で妻のメッセージは「No meaning」である。理由を語れる地点は立てていない。無意味なのではなく、無・意味なのである。

■参考リンク
Taejunomics 安部公房、他人の顔。



■tabi後記
このBlogは「言語スタイル」を試行するための場所にしようと思っているので、しばらくは「分かりやすい」とは到底言えぬ記事が多くなると思います。
posted by アントレ at 22:19| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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