2009年11月18日

tabi0318 若松英輔「井筒俊彦-東洋への道程」

地球化における円柱たりえる思考
プラトンは『国家』で詩人を追放した。芸術を憎んだからではない。哲学の祖が拒んだのは悪意ある虚構だ。詩人は啓示の通路でなくてはならない。詩人が自分を語り始めるのに忙しく、天啓の伝達者という任を忘れたとき、詩人は「共和国」から追放された。
現代、追放されるのは詩人ではない、哲学者ではないか、『神秘哲学』を読むとそんな作者の声が聞こえてくる。古代ギリシアにおいて「彼らはいずれも哲学者である以前に神秘家であった」と井筒俊彦はいう。彼がいう神秘家とは、瞑想者のことでも神秘論者のことでもない。啓示と理性の間に生き、自らを世界に捧げ尽くす人間にほかならない。
そんな彼が、詩霊の声に耳を傾けることなく、哲学者を研究しているというだけで、ためらいなく自分を「哲学者」と呼ぶ人々と同じ意味で、自身を哲学の徒だとは認識していなかったとしても、超越との繋がりを遮断した営みを哲学だと認めていなかったとしても訝る必要はない。P105
若松英輔「井筒俊彦-東洋への道程」(「三田文学」2009冬季号)


三田文学の井筒俊彦特集が入手困難のため、藤沢さんにお借りして読了しました。井筒氏のエッセイも関心をそそられたが、「読むと書く」の編者をつとめられている若松英輔氏の文章には刺激を受けた。

グローバリゼーションというワードを「地球化」という言葉に翻訳し、その言葉を井筒氏の文脈に落とし込むと、新たな地平が開けるような思いがした。引用文でいうところの、啓示と理性の間の生きるための言葉として解することが出来たからだろう。

短期間ながら東南アジアに「武者修業」に行き、表層面における普遍性/異質性を存分に感じた。しかし、私が切実としたかったのは旅の行程で何度も読んだ「意識と本質」と、この目の前に立ち上がっている「どうしようもない存在分節」との重ね合わせであった。重ね合わせでも無いか、溶け合わせであろうか。そもそも、この違和感の解消方法自体への模索であり、その方法を希求する構造への関心であった。

これから「意識の形而上学」「読むと書く」を創造的に誤読していきたいと思う。その後に、私法による私見を示してみたいと思う。本書は、そのための契機を与えてくれる冊子であろう。

■参考リンク
839旅 井筒俊彦『語学開眼』



■tabi後記
本業と副業(明日の夢/今日のパン)に曖昧ながらも分別を持てるようになったのは大きい。
posted by アントレ at 10:42| Comment(1) | tabi☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拙文、お目通し頂きありがとうございます。また、「創造的」なご意見をありがとうございます。三田文学での連載もお読み頂けましたら幸いに存じます。
Posted by 若松英輔 at 2009年11月27日 16:31
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