2009年12月08日

tabi0323 三浦俊良 「東寺の謎―巨大伽藍に秘められた空海の意図 」

空海にとって東寺講堂二十一尊像は宇宙だったのか
人間はいつも崖っぷちにたっているんだと。崖っぷちにたって明日もわからない、一寸先もわからないところにたっているのが人間なんだということです。明日もあさってもあるとおもうのが問題なんです。ちゃんと生きているということは、目標に向かって命をかけ、そして願いを込めてやりとおすこと。「信に死して願いを生きる」ということです。
(中略)
ひとりひとりが独立者です。独立者の集まりが、仏教でいう運命共同体、つまり僧伽(さんが)なのです。P361-362
三浦俊良 「東寺の謎―巨大伽藍に秘められた空海の意図 」(祥伝社 2001)


空海の風景を探るために、東寺を訪れました。

空海は774年6月15日に、讃岐国(香川県)多度郡屏風ヶ浦で生まれ、父は多度郡の郡司の佐伯直田氏(他の説もあるが)、母は阿刀氏の出身で、のちに玉寄御前といわれる。空海は幼名を真魚といった。15歳から阿刀大足のもとで学業に励んだのち、18歳で大学に入学するが、1年で大学を飛び出してしまう。

僕は、大学を飛び出した793年から空海が「日本」に帰ってくる806年までの期間に多大な関心を寄せている。周知のとおり、空海は恵果を引き継いだ。密教の教えを伝える伝法阿闍梨は、龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏、一行、恵果、空海となる。これを真言宗伝持八祖という。

恵果は、805年12月15日、空海と出会ってからわずか半年後に入滅される。この半年間に、空海と恵果の間で交わされたのは何だったのか。灯明が消えかかるときに一瞬大きく燃え上がる輝きに似ている半年間。大学も日本も仏教も、様々な概念を飛び越えていったトラベラーとして空海を探求していきたいと思っている。



■tabi後記
平安京は桓武天皇によって794年11月22日に遷都されたが、ここの朝堂院は10年前に建てられたばかりの長岡京(平城京が遷都したところ)の建物が移築されていること知った。奈良に偏在する「せんとくん」は批判的な素材を提供してくれる。「「京」の変遷」ということも関心がある。
posted by アントレ at 11:43| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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