2010年01月01日

tabi0329 岸田秀「ものぐさ精神分析」

幻想と現相の調停をはかる源層はあるか、もしくは原装か
突然奇妙な言動をしはじめるとはたの者には見えるが、発狂した者の主観としては真剣なのであって、これまで無理やりにかぶせられていた偽りの自己の仮面をかなぐり捨て、真の自己に従って生きる決意をしたときが、すなわち発狂なのである。外的自己と内的自己との分裂が悪循環的に進行し、外的自己が内的自己にとって耐えがたく重苦しい圧迫となって限界に達したとき、それまで内奥に隠されていた内的自己が、その圧迫を押しのけて外に表われたのである。内奥に押しこめられて現実の世界との接触を絶たれていた内的自己は、当然のことながら、現実感覚を失っており、妄想的になっている。だから、当人が真の自己と見なしている内的自己にもとづく行動は、はた眼には狂った、ずれた行動と映る。逆に内的自己から見れば、現実の世界に適応し、妥協しようとする外的自己の行動は真の自己を敵に売り渡す行為である。P24
岸田秀「ものぐさ精神分析」(中央公論新社 1982)


本書内で唯幻論を明快に説明しているのが「国家論」「性的唯幻論」「時間と空間の期限」の3論考であると思う。岸田氏は動物と比べて人間の本能はどこか歪んでしまい、補正して生きるために文化や自我が作られた。そして、補正のために幻想を作り出す機能は今でも続いていると語る。

■参考リンク
1086旅 岸田秀『ものぐさ精神分析』



■tabi後記
posted by アントレ at 16:23| Comment(0) | tabi☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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