2009年01月10日

tabi0039 竹内洋「教養主義の没落」

「適応」つまり人間の環境への適合を助け、日常生活の欲求充足をはかることは文化の基本的な働きである。実用性がこれにあたる。しかし、効率や計算、妥協などの実用性を超える働きも文化の中に含まれている。「超越」である。実用主義に対して理想主義といってもよい。しかし、文化にはさらにはもうひとつの機能もある。「自省」である。みずからの妥当性や正統性を疑う作用がある。自問や自省の働きである。(中略)文化はこの三つの作用の拮抗とダイナミズムからなっている。P240-241
竹内洋『教養主義の没落』(中公新書 2003)


「教養」という言葉を思索したく拝読。日本教養史として読む事が出来る。

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■ 参考リンク
雑記帳



■ tabi後記
2日間更新が出来なったが、書籍は読んでいたのでアップしていく。
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2009年01月06日

tabi0037 田中弥生「NPOの新時代」 

コーテンもドラッカーもNGO,NPOの組織論を語っています。組織論といえば、一般に、マネジメントやガバナンス、社会サービスなどの事業の運営方法について記されているだろうと予想されがちです。しかし、二人とも重要なメッセージとして託した言葉はボランティアでした。ドラッカーは、非営利組織にはその活動によって市民の生活を支え向上させる役割と、そこにかかわる人々を目覚めさせ市民性を養う役割の二つがあると説明しています。市民性とは、寄付活動やボランティアとしてのかかわりなどを通して人々が社会性を身につけてゆくことをさしています。P20
田中弥生「NPOの新時代」(明石書店 2008)


大阪大学OSIPPNPO研究情報センターによるデータが参考になる。

専任の有給職員による継続的な運営を行うには、最低限として年間500万円から1,000万円以上の経常収入が必要と考えられている。全体の平均経常収入は1,580万円となっており、平均的にはなんとか最低限の活動基盤が整っているように見える。

ところが、全NPO法人(12,509団体)のうち60.1%の団体は、500万円未満の経常収入しか得ておらず、1,000万円未満で見ると、71.3%となる。それは、収入金額の中央値が268万円となっているのを見てもわかる。つまり、全体的にNPO法人をとらえた場合には、全体の3割程度の団体しか運営基盤が整ていない。また、先の労働政策研究・研修機構の調査結果から、やはり多くの団体において専任の有給職員がおらず、非常勤職員のみで活動が行われていることがわかる。

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■ 参考リンク
1.4万NPO法人財務DB分析 田中弥生
NPO法人財務データベースよりみた情報開示の現状と課題



■ tabi後記
市民性創造というのは、単一政府における「市民性の醸成」を企図している。そこの前提をずらす必要があると考えている。
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2009年01月03日

tabi0031 前野隆司「錯覚する脳」

受動意識仮説とは、『「意識」は、「無意識」下の自律分散的・並列的・ボトムアップ的・無目的的情報処理結果を受け取り、それをあたかも自分が行ったことであるかのように幻想し、単一の自己の直列的経験として体験した後にエピソード記憶するための受動的・追従的なシステムである』というものだ。つまり、機能的な「意識」は、「無意識」下の処理を能動的にバインディングし統合するためのシステムなのではなく、既に「無意識」下で統合された結果を体験しエピソード記憶に流し込むための追従的なシステムに過ぎないと考えるのだ。したがって、「自由意志」であるかのように体験される意図や意思決定も、実は「意識」がはじめに行うのではない。
前野隆司「錯覚する脳」(筑摩書房 2007)


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■ 参考リンク
書評 - 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?
「プライベート」から「普遍」に至る




■ tabi後記
本日は母方の実家へ伺う。いつも吠えられている犬がいないなと思ったら、亡くなったようだ。近々、年間計画合宿にいこうと思う。場所は暖かいところがいい。
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2009年01月01日

tabi0030 神野直彦「財政のしくみがわかる本」

財政は金もうけをしてはいけない領域で、だからこそサービスをただで配っているのです。ただで配っているということは、何を意味しているのでしょうか。必要に応じて配っているということなのです。(中略) 市場は購買力に応じて配るので、お金持ちはたくさん消費し、貧乏な人はお金をもっていないから消費できません。私たちが財政で配るのか、市場で配るのかは、お金持ちであろうと貧乏な人であろうと必要に応じて配らなければいけない財やサービスだと社会が決意するのか、あるいは貧しい人々にはゼロでもいい財やサービスだと決意するのか、ということなのです。P19
神野直彦「財政のしくみがわかる本」(岩波ジュニア新書 2007)


リベラルを把握するために読みました。まとまった本です。秩序セーフティーネットの防衛、警察、消防。社会セーフティーネットの老齢年金、医療保険、介護保険、失業保険・・。市場セーフティーネットの独禁法、製造物責任法。交通手段としての鉄道、道路、港湾。コミュニケーション手段としての電信、電話。動力手段としての電気、ガス、水道。

賢い方でもシステムに浸るほど、これらを「制約」と捉え、「非制約化」することへの感性が鈍るのだろう。赤ん坊への無償行為や他者を迂回した「利益説」には説得性があるが、昨日の「子守りマーケット」的なマーケットデザインを実験改良、改良水平していくことのほうが魅力的。

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■ 参考リンク
Arisanのノート
社会保障を削って消費税率を引き上げる麻生内閣の理不尽




■ tabi後記
叔父が切手記念コインの収集家であることが発覚。日本に流通する切手の95%をもっているという。残りの5%は明治初期(1871年よりスタート)のものだけというから驚きだ。そして、自分の大叔父が高島という会社を経営していたことを知る。
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tabi0029 堀紘一「超人脈力」

ブルース・ヘンダーソンは、経営戦略の重要性について聞かれると、常に「もちろん企業経営にとって戦略は非常に重要なものだ。しかし最重要ではない。」と答えていた。では、いちばん大切なのは何か。それは「運」だというのである。(中略)運は世間一般が言うような「人知の及ばざるところのもの」ではない。それどころか、非常に人為的なものである。さらに言えば、運はつまるところ、人と人との出会い、縁(えにし)で決まる。(中略)要諦はただ一つだけ、"I care you."んお精神である。ー私はあなたが気になります。だからあなたのことをケアしたい、お世話したい、お役に立ちたいー。すべての底流にこれがあり、こういう気持を作為を感じさせずに「自然に」相手に伝えられれば、別に記事コピーでなくほかの何であってもいいのだ。P12-13,43
堀紘一「超人脈力」(講談社 2003)


佐俣さんが薦めていたのを思い出し、読了。同意します。人脈を広げ、深め、維持するための勉強会(飲み会?)を開催できるのも、本質を希求し、その研磨を惜しまないからであり、「本質を希求し、その研磨」をするためには他者の力が必要だと内的に直観しているからだろう。

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■ 参考リンク
ドリームインキュベータ



■ tabi後記
元旦は父方の実家へ赴く。数年ぶりなので、楽しみです。
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2008年12月31日

tabi0028 下條信輔「<意識>とは何だろうか」

そもそも、無意識が意識の基盤である理由は、無意識的過程こそが「脳の来歴」の貯蔵庫であるからだと思います。また「来歴」がその影響力を行使する場所でもあるのです。独創的な発見や洞察があったときに、なぜ、それが本人の内側からではなくて、外から来たように見えるのか。そのような問いを前章で提示し、簡単に検討しました。そこでの答えは『身体や世界の事物が認知の外部装置だから』というものでしたが、これに次のようなことを加えることもできます。そもそも、発見や洞察がなされたというのは、その解法を意識できた時点をさすわけです。その前の段階では無意識の水面下で「来歴」が持続的に作用し、意識の「周辺」を形成していたはずです。これが『地』として潜在的に形成されたからこそ、発見が「図」として浮かび上がったのです。そして浮かび上がるにあたって、身体の何気ない動きや、外界の事物への何気ない注意が大事なのも、それらが無意識の過程と重なるからなのですp206
下條信輔「<意識>とは何だろうか」(講談社現代新書 1999)

「サブリミナル・マインド」に続いて読了。

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■ 参考リンク
DESIGN IT! w/LOVE
120旅 すべての繋がりが意識をうむ



■ tabi後記
ATMで残高確認をしたら、「コンサルフィー」という名目で振り込まれていた。無償だと思っていた仕事だったから、素直に嬉しかった。そして、人は自分が知らないところで頑張っているということを再確認し、気が引き締まる。
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2008年12月29日

tabi0025 松本大 冨山和彦「この国を作り変えよう」

市場経済が個々人の経済的な「エゴ」を基本的に善ととらえるごとく、民主主義政治も個々人の政治的な「エゴ」の主張を肯定することを基本前提としている。これだけの急激な少子高齢化が平和のうちに進展する日本は、今の時代の「最大多数」の幸福と未来世代の「最大幸福」との深刻な相克という、おそらく世界の近代民主政が初めて挑戦する重い課題に直面している。世界レベルで問題となっている環境問題やエネルギー資源の枯渇問題においても、その背後に、いまだこの世に生まれざる世代の声をどう現在の意思決定過程に反映させるかという、近代民主主義制度を確立した時点では想像し得なかった重大な構造矛盾が横たわっているのだ。P159
松本大 冨山和彦「この国を作り変えよう」(講談社 2008)


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彼らの思索に共時性を感じる方は多いと思います。これを鵜呑みにせずに自らの思索をすすめることが、彼らのメッセージをきちんと受け取ることになるでしょう。



■ tabi後記

帰りの電車で小西さんと「何をプリンシパルとして創薬研究をしていくのか?」をディスカッション。欲望に付き従うこと、つまりは自らの生存のためというインセンティブを設計するんだよね。けども、何をプリンシパルにするかという代替案を提示できない歯痒さについて話しあう。「どこまで人間か?」という問いや、生命倫理などを俯瞰しながらも、実践論とかさねあわせていこう。
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2008年12月25日

tabi0024 小倉昌男「経営はロマンだ」

目的が決まる。目標が掲げられる。実現するための方法を考える。経営とは考えることである。でも考えても分からないことがある。そのときはやってみる。やってみれば分かることが多い。そうして試行錯誤しながら前進する。やれば分かるーー私が経営者として体得したことの一つである。経営はロマンである。だから経営は楽しい。(中略)宅急便を考えたとき、単なる一企業の事業ではなく、社会的なインフラになるし、そうしたいと思っていた。思い上がったことだったかもしれながいが、それは私の「志」だった。(中略)どんな人にも良いところがある。結局悪い人はいないと思う。私はどんな人にも親切にしようと心掛けてきたつもりである。座右の銘はと問われたら、「真心と思いやり」と答えることにしている。
小倉昌男「経営はロマンだ」(日経ビジネス人文庫 2003)


小倉さんの礎は、経営者としての父、リベラルな中高生活、戦争経験、闘病生活、キリスト教にある気がします。そもそも大和運輸に正式に入社したのは29歳。子会社、総務部長、営業部長と渡り歩き、東京-大阪間の路線拡大事業を行う。経営を任されたのは47歳からである。その後は三越やコカコーラといった法人企業向けのサービスを縮小し、個宅サービスに集中していく。今の宅急便である。結果として日本有数の大企業に至る。

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■ 参考リンク
小倉昌男 インタビュー
経営者は何によって記憶されるか――追悼・小倉昌男
極東ブログ

■ tabi後記
以前インタビューさせて頂いた鵜尾雅隆さん(株式会社ファンドレックス)が立ち上げメンバーとなっている、日本ファンドレイジング協会の設立発起人となりました。



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2008年12月24日

tabi0022 三枝匡 伊丹敬之「「日本の経営」を創る 社員を熱くする戦略と組織」

シンプルなストーリーの「一枚目」は、現実の問題点への強烈な反省論を単純化して書いたものです。現状の問題の本質はこれとこれだといって、その段階で構造をシンプル化するんです。原因がシンプル化されると、「二枚目」の戦略とか対策のストーリーが単純になってきます。「三枚目」は具体的に担当者と日付の入ったアクションプランです。P217(中略)一枚目の段階で、「自分たちの手に負える大きさにまで問題を分解」しておくことがカギになると思います。今、目の前にいる普通の人々にわかるように、いかに問題を分解し、噛み砕いて説明するか。そのためのプレゼンテーションを作るのに、異常とも思えるほどの時間と労力が使われている。それが、たった一回だけの、絶対に負けることのできない勝負の分かれ目になるんです。そういうことをやって現実の構図をみんなに見せるわけです。「これが問題だよね。ひどいよね。今までまったく見えていなかったけど、どうする?この問題の原因って、元をただせば実は君も関係しているんだよ」といった話に分解することがポイントです。P219(中略)「一枚目」の原因整理のところで、問題を自分の手に負える大きさに分解する作業を、個人の「個に迫る」ところまで行うと、ようやくその反省が起きるんですよ。P225私はそのアーリーウィンを、初めから意図して計画に入れ込めと言っています。何がアーリーウィンなのかを、事前のプランニングの段階で考え抜いて、それを入れ込み、本当にそれが早く出てくるように、行動の優先順序をつけておくわけです。P231
三枝匡 伊丹敬之「「日本の経営」を創る」(日本経済新聞出版社2008)


ひと味違った書籍を描かれる2名の対談。冗長な感は否めないが、1文字1文字がずっしりとくる書籍である。

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本書よりもスマートな抽象化を行うべく、再度、三枝氏と伊丹氏の書籍に目を通していきたい。

■ tabi後記
本日は安斎さん、及部さんとルノアール。学びある話し合いでしたね。仮説を突き進めること、そこには決断がいること。決断なきプロジェクト、計画などありえず、退路を断つことが進路を拓くということ。リーダーは孤独であるが故に完全に自由ということ。ガツンと詰めていきましょう。


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2008年12月17日

tabi0012 清水勝彦「経営意思決定の原点」

結局、組織の戦略、そして経営とは「意思決定の積み重ね」なのだと思います。しかし多くの場合、組織の意思決定に関しては一回限りの選択のところだけに注目して「胆力」「先見性」「決断力」といった、耳ざわりのよい言葉が闊歩しているのが現状ではないでしょうか。リーダーの資質、リーダーを支えるスタッフの情報量が重要であることは間違いありません。しかし、「スタート」だけではなく、その後どのようにして「決定が実行されるのか」、さらに言えば、「そもそも何をいま決定しなくてはならないのか」「決定時に全く想定されなかった状況にどう対処していくのか」にもっと注目が集められなくてはならないのではないでしょうか。P5
清水勝彦『経営意思決定の原点』(日経BP社 2008)


著者は、個人・グループ・組織における心理的バイアスを概観したのちに、意思決定にみられる「病」の分析をおこないます。

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(1)決められない(優柔不断)、
(2)決め急ぎ(拙速による失敗)、
(3)決めただけ(決定しても実行されない)、
(4)決めっぱなし(意思決定の見直しがなされない)、
(5)決めすぎ(実行途中で次々と変更される)

の5つを取り上げ、それぞれの「病」の背景を解説している。

■ 参考リンク
清水勝彦

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2008年12月16日

tabi0011 中西準子「環境リスク学 不安の海の羅針盤」

私は自分が出す資料からあらゆる思想的な言葉を削ぎ取りました。思想の闘争になれば、いつまでも対立が解けない。出すべきは事実、思想の違いを超えて認めることができる事実、これこそが今の思想的な勢力関係を崩す力をもっている。これが自然科学の強みだ。(中略)こうして私はファクトを出すことにこだわりました。ファクトといっても、その人の目を通して見たファクトであり、それはその人の生き方や思想を反映したものですが、しかし、多くの人にとってもファクトと思えるものがあるはずで、それを出したいと考えました。対立を解きたい。少しでも従来の何々派や何々党などに固定された意見の壁を崩したい。そのためには、自分だけでなく、多くの人にとってファクトと思えることを冷静に抜き出し、発表しなければならない。私はこう考えて仕事をしてきました。現場にも必ず足を運びました。P77
中西準子『環境リスク学 不安の海の羅針盤』(日本評論社 2004)


渾身の最終講義である。徹底的にファクトへこだわり、そのファクトのこだわりからファクトを超える行動へ。それが、リスク推定評価という仕事にうつることだった。大学、学会、役所から村八分にされ、学会誌、マスコミには公表できず、23年間も助手を務めあげた。退官を目の前にした2003年に紫綬褒章を受賞する。

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正直こんなに単純ではないので、各ボックスを細分化していく。リスク評価手法についても考察していきたいと思う。

■ 参考ブログ
「環境リスク学」についてのメモ
ファクトにこだわるということ

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2008年12月13日

tabi0006 山本七平「ある異常体験者の偏見」

簡単にいえば、われわれは「社会的通念」というものを信じていれば、それで生きていける社会にいるわけである。従って「世の中なぞ絶対に信じない」という人は本当は存在しないわけである。なぜなら、そういう言葉を口にする人は、その言葉が相手に通ずることを、絶対に疑っていないし、この言葉には、みなが信じている「世の中」すなわち社会的通念が確固として存在していることを前提にしているからである。ところが「戦場という『世の中』」は、何一つこういうものはない。特に分断され寸断されてジャングルにこもった小集団などには、基準とすべき通念などは全くなくなっている。こうならなくとも、戦場では、「社会的通念」がないから通常の社会で使われている言葉が、使えなくなってしまうのである。世の中が信じられないとは、本当はこういうことであろう。簡単にいうと、われわれは「女の人が来た」という。これに対して、「いやその言葉は正しくない。君が見たのは一つの形象であり、『女の人』というのは君の判断にすぎない。相手は女装した男性かもしれぬ。君がどう判断しようと相手の実態はそれと関係なく存在する。また『来た』というのは君の推定であって、そう思った瞬間、相手は回れ右をして行ってしまうかも知れぬ。従って、そういう不正確な言葉は使うべきではない」などといえば、全く閑人の無意味な屁理屈である。しかし戦場では否応なしに、そういう言い方にならざるを得ないので、ここに本当に「世の中が信じられない」状態の言葉が発生するのである。P177-8
山本七平『ある異常体験者の偏見』(文春文庫 1988)


「軍人的断言法」とは奇抜な発想である。指示、命令、依頼の言語系統に自ら企図する志向を注入するようなシステムに設計することによって、非論理的な行動を可能にする(してしまった)力があるのか。

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本書では確定要素(定量的)、不確定要素(定性的)と記述されている。戦争をしないで終わる事。つまり相手から負けを宣言して頂くように持て成すのとが良き戦争(戦略)である。

そういった現象が発生するのは、確定要素に基づいた武力計算が行われるからである。もちろん、"エネルギー","精神性","民族感情"といった不確定要素が武力の総和を覆すようなことがあるが、他人の命をつかって他人の命を守る際には、定量性の主軸をずらしてはいけない。至極単純なことを、第一線で戦争体験をした山本の筆致は重い。(自らも称する「異常体験者の偏見」。)

計量主義と設計主義を結びつけ、「悪」という鉈をふりおろすのではなく、何において計量がなされるのか、自らの解釈を拘束している物事は何かを問い続ける姿勢と、問わずにはすまされないシステムをどうするかを考えていくのが建設的であろう。

参考リンク
福耳コラム 事実と判断の切り分け「ある異常体験者の偏見」


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2008年12月09日

tabi0002 甲野善紀・茂木健一郎「響きあう脳と身体」

「それはつまり、「『自由に見える』『自由に感じる』感覚が、いかにして身体という制約から生み出されているのか」という問いの立て方をしなければならない、ということなのだと思います。そう考えると、甲野さんが今おっしゃった「制約を受けているからこそ物語が生まれ、自由が生まれるのではないか」という仮説は、まさにわれわれ人間の存在条件を的確に言い当てていると思います。」P154
甲野善紀・茂木健一郎『響きあう脳と身体』(バジリコ 2008)


桜井 章一 甲野 善紀『賢い身体 バカな身体』(講談社 2008 )と共に読了。

先週から腕立て伏せと腹筋を50回づつ行っているためか、身体が疲れなくなってきた。身体と知性という言葉を考えるにあたっては、自らの身体で空気/筋肉の動きを感じたい。

それが私の思考に及ぼすプロセスを覗きたい。


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僕らは必死に生きているだろうか?

必死とは字義どうり「必ず死ぬ」という視座である。安土桃山時代の職人のように。仕事の出来次第で、信長や秀吉に首を斬られてしまう人間の心模様をとらえられるか。

湿度を感じ、温度を感じ、騒音を、人の声を聞き分け、臭いも感じる。われわれの同時並列的知性をもとに選択肢の判断、行動の原理にすえるような思想を探究していく。


■ 参考リンク
趙州和尚の草履
荒川修作


■ 著者Blog
茂木健一郎
甲野善紀



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tabi0001 神成 淳司, 宮台 真司「計算不可能性を設計する」


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本書は3テーマで構成されている。

・コンピューターの計算限界性と人間の処理能力

・社会システムにおける人間の選択に関する問題

・アーキテクトの寄り添う信念/設計思想




・コンピューターの計算限界性と人間の処理能力

2020年を境にノイマン型による漸進発展と量子型による前進発展の逆転が起きると予測する。つまり、ダブルエッジの創出が起こるということです。そして、纏足(てんそく)から遺伝子操作にみる種の変化を企図する行為は、種の保存原理をベースにしてと考える。


■ エッジA

まず、人間が実施してきた作業の一部にコンピューターを導入することにより、エラー率を減少させる傾向は続いていく。つまり、ある一定の品質が必要とされる部分をすべてコンピューター処理に置き換えていくということです。ここで「人間疎外」という視点にうつらないのが本書の特徴。

■ エッジB

置き換えられていくからこそ、置き換えられないことが見えてくる。そこに、「熟練技術者の可能性向上」をみるのである。


そして置き換え問題には、社会システムにおける人間の選択に関する問題が絡んできます。


「社会システムのコンピュテーション化」は何を目指すかという問いです。amazonリコメンドサービスの延長上にある世界と考えて頂いて良いです。(「マイノリティリポート」よろしくの世界ですね。)


そこで立ち上がる問いは「人間的とは何か?」から「人間とは何か?」ということです。

人間は選択主体をおこなう「私」から、アーケテクチャーの結節点となりアグリゲーターが提示する選択問題を選択するだけの「私のようなもの」になることへの考えを創っていく必要があると言います。


その際に考える視座としては3つあります。


・仕組まれ人

・仕組み人(新しい知識人/アーキテクチャー)

・振舞人(道化師/芸術家)

彼らは後者2つに対し、「人というものの存在に期待する」と発言しています。 人の行為の美しさ、もっと言えば、生命が生きるという行為そのものへの感動を忘れない。 そして、アーキテクトも感動を創出すべき。(⇔煽動、操作への懸念を内包しながら。)


ここで画像のほうへうつっていきます。本論と関係がないところかもしれませんが、私がきになった部分をマトリックスにしました。

・生徒の姿勢を自発/受動

・教師の態度を新規/既存

と区分しました。


我ながらナンセンスなマトリックスが出来上がったと思います。笑


・教育は人為的に成育環境を操縦することで社会化を誘導する仕組み

社会化とは、「自発的に振舞った結果が秩序を産出するように内面化すること」であり、
社会統制(賞罰による直接誘導 )とは異なります。

つまり教育というものは、親や教師が行うのではなくアーキテクトが行うものであるという視点にたっています。

「権力者の誘導じゃないか!」と脊髄反射をしてはいけない。実際にそうなのである。アーキテクチャーが学習環境デザイナーと呼ばれたり、ファシリテーターと呼ばれたりするだけのことです。また彼らも、上位のアーキテクチャー(奪人称性)に浸食されているのですが。

■参考サイト
「計算不可能性を設計する」トークショーダイジェスト
宮台真司と神成淳司のトークショーにいってきたよ

■著者Blog
神成 淳司
宮台 真司




posted by アントレ at 16:24| Comment(0) | tabi☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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